日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬日事件」の意味・わかりやすい解説
馬日事件
ばじつじけん
中国、湖南省の省都長沙(ちょうさ)で、1927年5月21日(「馬」は電報用語で「21日」の意味)、唐生智(とうせいち)軍の連隊長許克詳(きょこくしょう)が起こした共産党や労働者、農民への武力弾圧事件。北伐の過程で、国民党左派と共産党が中心となってつくった武漢政府下の湖南では、一方で農民協会や労働組合の力が強かったが、他方、何鍵(かけん)(北伐軍軍長)を中心とした国民党右派、地主の巻き返しも激しかった。許は、何と結んで唐生智追放をも意図していたといわれる。この事件で、湖南省総工会、農民協会などが襲撃を受け、100余人の共産党員や労働者、農民が射殺された。蒋介石(しょうかいせき)の四・一二クーデター、張作霖(ちょうさくりん)による李大釗(りたいしょう)らの殺害(4月28日)、5月17日の夏斗寅(かといん)の武漢攻撃に続く事件で、武漢政府の崩壊に至る重要な一歩となった。
[安井三吉]