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北伐 ほくばつ Bei-fa

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北伐
ほくばつ
Bei-fa

中国では一般に北方へ兵を進めることをいうが,特に (1) 1922,24年の孫文広東政府による2回にわたる北上軍事作戦と,(2) 26~28年蒋介石指揮下の国民革命軍による北上作戦,とりわけ北洋軍閥打倒作戦をさすことが多い。

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デジタル大辞泉の解説

ほく‐ばつ【北伐】

1926年から中国国民革命軍が北京の軍閥政府を打倒するために行った戦争。北伐軍総司令蒋介石の反共クーデターなどで中断されたが、1928年、北京を占領し、中国を統一した。

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百科事典マイペディアの解説

北伐【ほくばつ】

中国,国民革命軍が北京軍閥政権打倒をめざして実施した全国統一戦争。中華民国の正統な継承者として広東に退いて革命政府をたてた孫文らは,1922年2月〜6月,1924年9月〜11月に北伐戦争を発動したが失敗に終わり,孫文は1925年に没した。
→関連項目賀竜五・三〇運動国共合作呉佩孚済南事件山東出兵周恩来鈴江言一翦伯賛中華人民共和国中華民国中国国民党張作霖陳誠南漢宸白崇禧馮玉祥武漢政府北洋軍閥葉挺李済深李宗仁

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世界大百科事典 第2版の解説

ほくばつ【北伐 Běi fá】

中国,近代における孫文ら国民党系の広東を根拠地とする全国統一戦争をいう。中華民国の正統な継承者として広東政府を組織した孫文らは,北京の簒奪者から政権を奪回すべく3回にわたって北伐戦争を発動した。第1回(1922年2月~6月)は桂林(のち韶関)に大本営をおき,湖南・江西に兵をすすめたが,吉安をおとしたところで陳炯明(ちんけいめい)のクーデタが起こり失敗に終わった。第2回(1924年9月~11月)は韶関に大本営をおき,4万~5万の兵(建国軍)を率いて江西に出たが,馮玉祥(ふうぎよくしよう)の北京政変で直隷派が政権をおわれたため中断された。

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大辞林 第三版の解説

ほくばつ【北伐】

中国国民革命軍が華北の軍閥政府を倒した戦争。1926年蔣介石を総司令として広東から北上、武漢・南京両政府の対立により中絶したが、28年張作霖を追って北京を占領、中国を統一した。 → 済南さいなん事件

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北伐
ほくばつ

中国では一般的に南方から北方へ軍隊を動かして、北方勢力と戦うことを北伐という。近代中国では、太平天国や辛亥(しんがい)革命にみられるように、革新的な闘争が南から北へ向かって進められることが多かったが、普通にはとくに1920年代の国民革命期の北伐をさす。この北伐は1926年7月に始まるが、それが行われた歴史的要因は、辛亥革命後の政治情勢にさかのぼる。
 辛亥革命で、革命派は北方勢力との妥協によって清(しん)朝打倒(民国樹立)に成功したが、軍閥政権の独裁を阻むことができず、第三革命で袁世凱(えんせいがい)の帝政を阻止したのちも、軍閥が各地に割拠して内戦や抗争を繰り返した。1919年9月、孫文らは広州で軍政府を組織し、軍閥打倒の闘争を開始したが、自ら軍事力をもたないために南方軍閥に依存せざるをえず、軍閥間の勢力争いに利用され、目的を果たせなかった。五・四運動を目撃して、覚醒(かくせい)した民衆の大きな力を認識した孫文は、中華革命党を国民党に改め、さらに1924年初め、コミンテルンの影響を受けながら、国民党を民衆に基盤を置く政党に改組し、「連ソ、容共、労農援助」の三大政策を掲げるとともに、革命党にふさわしい軍隊の創設を図り、この年の9月に軍閥打倒のための北伐を宣言した。しかし、孫文はその志を遂げずに世を去り、国民革命の課題は後継者に受け継がれた。
 1926年7月、蒋介石(しょうかいせき)は国民革命軍総司令となって北伐を開始。革命軍は、武装した労働者、農民に支援されながら北上し、武漢、南京(ナンキン)を占領して上海(シャンハイ)に迫った。以前から動揺していた蒋介石(しょうかいせき)は列強の要求に屈し、27年4月12日、上海で反共クーデターを強行、多数の労働者、農民などを虐殺した。こうして国民革命は挫折(ざせつ)したが、蒋介石は28年北伐を再開、すでに国民党に入党した閻錫山(えんしゃくざん)、馮玉祥(ふうぎょくしょう)ら軍閥とともに、奉天軍閥張作霖(ちょうさくりん)を北京(ペキン)から追放して、同年6月北伐を完了した。蒋は共産党を除く反対勢力を一掃し、いちおう軍閥勢力を支配下に置くことに成功したが、この北伐は軍閥との妥協によって行われ、蒋自身が独裁的な新軍閥と化して民衆の支持を欠き、孫文が提唱した北伐とは異質のものとなった。[伊東昭雄]

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世界大百科事典内の北伐の言及

【国民革命】より

…大会後,革命の軍隊をつくるべく黄埔軍官学校(校長蔣介石,政治部主任周恩来)が創立され,指導者養成のために農民運動講習所なども設立された。 孫文逝世後,広東政府は汪兆銘を中心とする国民政府に改組され,26年7月,蔣介石を国民革命軍総司令として北伐を開始した。国民革命軍はソ連赤軍に学んで党代表制を取り入れ,政治教育を行ったため,軍閥軍に比べて戦闘精神にひいで,とりわけ葉挺の独立団をはじめ,共産党員が重要な役割を果たした。…

【中華民国】より

…護法とは,袁世凱のあとを襲った段祺瑞がやはり臨時約法を蹂躙(じゆうりん)するのに対し,それを擁護することを根本の主義とするもので,革命によって成立した中華民国の正統な後継者との立場を表明するスローガンであった(護法運動)。ここに南北対立の局面が出現し,以後この分裂の構図は北伐の完成まで約10年間あまりつづくことになる。 この状況に直面して段祺瑞は北洋派をあげての武力統一を図ったが,その結果,同派の内部矛盾が急激に顕在化し,段祺瑞の安徽派,馮国璋(ふうこくしよう)の直隷派,張作霖の奉天派等々が入り乱れて中央政権の争奪戦を演じ合うことになる。…

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