日本の城がわかる事典 「駒ヶ嶺城」の解説 こまがみねじょう【駒ヶ嶺城】 福島県相馬郡新地町にあった戦国時代の平山城(ひらやまじろ)。16世紀に伊達氏と激しい戦いを繰り広げた戦国大名の相馬氏の城。永禄年間(1558~69)に、相馬盛胤が北の新地城(同町)とほぼ同時期に築城し、伊達氏に対する最前線の軍事拠点として使われた。1589年(天正17)、田村郡へ出兵した相馬義胤の留守をねらって相馬領に侵攻した伊達政宗(まさむね)により攻略された。以後、伊達氏の城となり、政宗は城の改修を行い城代を置いた。1718年(享保3)、伊達一族の宮内主税が1400石で城代となって以降、代々宮内氏が城代をつとめて幕末にいたった。戊辰戦争下の1868年(慶応4)、駒ヶ嶺城には奥羽越列藩同盟軍の仙台藩の本営が置かれ2000人の藩兵が配置された。同年7月13日に平城(いわき市)を攻略して、浜通りを北上する新政府軍は間もなく同城への攻撃を開始し、仙台藩兵と応援にかけつけた相馬藩兵との激戦となったが、8月11日、駒ヶ嶺城は炎上、落城した。城はJR常磐線駒ヶ嶺駅の北西約1kmの標高56m、比高40mの小高い丘の山頂につくられていた。現在は、畑地、山林になっているが、曲輪(くるわ)、土塁、空堀、土橋跡などの遺構が残っている。JR駒ヶ嶺駅から車で約4分。◇臥牛城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報