日本の城がわかる事典 「新地城」の解説 しんちじょう【新地城】 福島県相馬郡新地町にあった戦国時代の山城(やまじろ)。16世紀に伊達氏と激しい戦いを繰り広げた戦国大名の相馬氏の城。1544年(天文13)の伊達氏の天文の乱で、伊達稙宗(たねむね)方についた相馬氏は以降、伊達氏と激しい攻防を繰り返した。相馬氏は天文の乱で伊達領だった宇多郡、伊具郡に侵攻して領土を広げたが、永禄9年(1566)、相馬盛胤・義胤父子が伊達氏に対する最前線基地として新地城を築城した。1589年(天正17)、相馬義胤が田村郡へ出兵した隙をねらって相馬領に侵攻した伊達政宗(まさむね)により、南の駒ヶ嶺城(同町)が攻略されたことから新地城が孤立し、その2日後に陥落した。政宗は重臣の亘理重宗に新地城、駒ヶ嶺城の2城を与え、南方の押さえとした。新地城には重宗家臣の坂本三河、大町三河が城代として入城したが、1600年(慶長5)、城代は坂元の蓑首城(のちの坂元要害、宮城県亘理郡山元町)への引き揚げを命じられ、その後間もなく、廃城になったといわれる。新地城の本郭は丘陵の頂上部、北から西にかけて空堀をめぐらせ、空堀を隔て西に西館、北に北屋形、さらに東には土塁を隔てて東館があった。城跡には曲輪(くるわ)、土塁、空堀跡が残っている。現在、本郭跡は新地城跡公園に、西館・北屋形跡は農地になっており、東館跡は藪に覆われている。JR常磐線新地駅から車。◇蓑首城、谷地小屋城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報