日本歴史地名大系 「駒岡村」の解説 駒岡村こまおかむら 神奈川県:横浜市鶴見区駒岡村[現在地名]鶴見区駒岡町・梶山(かじやま)二丁目北境を鶴見川が東流し、東は上末吉(かみすえよし)村、南は北寺尾(きたてらお)村・獅子(しし)ヶ谷(や)村、西は師岡(もろおか)村・樽(たる)村(現港北区)に接する。年未詳一二月二日の文竜・寿天連署書状(県史三)に鎌倉宝積(ほうしやく)寺の「寺領駒岡村者、永安寺殿御寄進状并上椙道元和尚永代参百貫文仁沽券明鏡也」とある。宝永三年(一七〇六)中駒岡(なかこまおか)村が旗本久志本領となったほかは幕府直轄領。「風土記稿」によれば、この頃上中下三村に分れ、接界犬牙して分弁できないとしているが、寛永二一年(一六四四)の検地帳(横浜開港資料館蔵)には、上駒岡(かみこまおか)村は田一四町八反余、畑屋敷七町一反余とあり、分村はさらにさかのぼるとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by