( 1 )中国・日本にライオンは生息しないので、獅子の概念は、西方からのものと考えられ、日本では空想上の動物であった。日本にライオンが来たのは慶応二年(一八六六)とされる。
( 2 )百獣の王として王者の象徴と考え、仏教では人の王である仏の象徴とした。「漢書‐西域伝・上」には烏戈山離国に師子がいることが、「後漢書‐西域伝」には、安息国から章帝の章和元年(八七)に師子を献じたことが見える。
日本ではライオンと同義に用いる。中国の《漢書》西域伝では,西域伝来の動物とし,後世の注釈者は,中国の虎豹をも食うという狻麑(さんげい)(猊)にあてている。獅子(ライオン)は百獣の王といわれ,その威厳ある姿は古くから動物闘争文(アニマル・スタイル)や狩猟文などに好んで用いられた。ウル第1王朝期以降の遺物にみられる動物闘争文には牛にかみつく獅子文があり,その文様は後にペルシアのペルセポリスの浮彫にも用いられている。狩猟文としてはアッシリアのニムルド王宮の壁面彫刻にすでにあらわれ,特に馬上から騎士が身を翻して獅子を射る姿をあらわした獅子狩文はアッシリアよりペルシアまで銀皿などにさかんに用いられている。獅子狩文では獅子は必ず前足を上げて立ち上がり,尾をぴんと上げ口を開けて咆哮している。中国からその形象が伝来した日本においても,法隆寺の〈獅子狩文錦〉にはこれとほぼ同形の獅子がみえ,また正倉院の〈花樹獅子人物文白橡(つるばみ)綾〉の中央の花樹の左右に対置する獅子もこれと同じ姿勢をとる。他にも正倉院の〈紫地獅子奏楽文錦〉の獅子奏楽文をはじめ,獅子遣い文,獅子頭文,獅子丸文,獅子の丸蛮絵などがある。
執筆者:松平 美和子
獅子(ライオン)を〈猪(しし)〉〈鹿(しし)/(かのあし)〉などと区別して唐獅子と呼ぶこともあったが,中国伝来の幻想動物としての〈唐獅子〉は,頭側部両側や頸部,尾を火焰状に渦巻く多量の毛で覆い,胴体,四肢に数個の文様を散らした特異な形状容姿で伝わっている。こうした概念や形状を最初に日本にもたらしたのは9世紀渡来の密教両界曼荼羅図であると考えられる。すなわち空海の帰朝(806)や円仁の帰朝(847)時にもたらされた胎蔵界曼荼羅には十二天宮の一,獅子宮に〈獅子〉図があったほか,円仁の持ち帰った曼荼羅図には大日如来の禽獣座(乗物)として唐獅子の姿がはっきり描かれていた。このころから急速に発達した日本の密教美術は,諸如来,諸菩薩とともに,この仏法護持の神獣〈唐獅子〉を図像的に確実に定着させていった。
平安時代,仏教が国教化し,神仏が習合される思想の中で,清涼殿の天子玉座の帳台御前の左右に〈獅子形〉(唐獅子木像または鋳像)を配する慣例が成立した。大日如来の垂迹神,天照大神の神子たる天皇の神格を〈王法即仏法〉の考え方によって権威づける儀礼であった(《江家次第》)。この段階では,唐獅子は仏法のみならず,邪悪なものを退け,国家鎮護を祈念する形代として呪術的な機能が賦与されていたわけで,これを〈ししこまいぬ(狛犬)〉とも呼んだ。仏寺や神社の門前の左右に狛犬を配する風習も,これにかかわりがあろう。古い狛犬に比べて平安時代末期以降の狛犬は,極端に唐獅子の形状に近づいてゆくからである。この時期の独立した唐獅子のイメージは,伝鳥羽僧正の《鳥獣戯画》(12世紀末ころ)で見ることができる。一方,平安時代中期の興福寺供養において〈獅子舞〉が行われており,〈獅子頭(ししがしら)〉と呼ばれる獅子舞芸能が田楽や猿楽と並んで民間に行われるのはこのころと考えられる。グロテスクだが勇猛である唐獅子の威容をかりて,邪悪なものを除祓する呪術的な芸能であったと思われ,それは中・近世の間,断続しつつ,今日の民間芸能の〈獅子舞〉に至っている。
中世になると,唐獅子はその勇猛な形状容姿がことのほか武人に愛され,旗印や兜の飾りになることが多かった。謡曲《石橋(しやつきよう)》等によって,百獣の王としての獅子が牡丹(ぼたん)の華麗な花姿と対応され,美化されていったこととも関係があろう。室町時代や安土桃山時代には,唐獅子の形状容姿は,城郭建築の中の襖絵や屛風絵などの画題となり,狩野永徳の《唐獅子図》(御物)などの傑作も生まれた。江戸時代に入っても武家の唐獅子図像の愛好は引き続いた。たとえば日光東照宮の絢爛(けんらん)たる装飾彫刻の中で多用されたのは唐獅子と牡丹の図柄である。しかし,江戸時代後期になると,唐獅子の神威ある王者の守護獣といった性格はうすれてゆき,ひたすらに怒りたける勇壮なる野獣性の象徴に転じていった。ことに浮世絵の発達にともなう刺青の流行につれて,鳶(とび)の者,火消,勇み肌職人,俠客らは,《水滸伝》の豪傑らのほかに唐獅子牡丹の文様をからだに刻みこむことがあった。この風俗は近代に入って,おもに博徒や極道者に引きつがれた。
なお,石川県の加賀武家文化の象徴としての唐獅子陶像,沖縄県の琉球文化の象徴としての唐獅子陶像は,それぞれの郷土特産品として著名である。
→獅子頭 →ライオン
執筆者:高田 衛
(1)伎楽・舞楽の曲名および役名とその演技 〈師子〉と記した例が多い。ともに伝承は絶えているが,民俗芸能の獅子舞や鹿踊(ししおどり),能の獅子舞,近世邦楽や歌舞伎舞踊の獅子物・石橋物など,日本芸能史における獅子の芸能の淵源を示すものと考えられる。伎楽の獅子は,行道の先導役,治道(ちどう)に続いて登場し,悪魔払いの役目をつとめたとみられる。これから派生したものに小部氏の秘曲によって奏された《師子》があり,平安朝以来諸大寺の供養に用いられ,その一部は現在わずかに大阪四天王寺に伝えられている。舞楽の《獅子》は,御願供養の舞として特別のおりにのみ演じられ,1396年(応永3)9月20日の山門大講堂供養を最後に楽家の伝承はいちおう絶えている。
(2)能楽の囃子事(はやしごと) 文殊菩薩の浄土に住む霊獣獅子が,牡丹の花に戯れ遊ぶようすを見せる豪壮華麗な舞とその囃子。囃子の演奏,舞の型とも,能の舞の類型に当てはまらない特徴をもち,重い習物(ならいもの)になっている。笛・小鼓・大鼓・太鼓が渾身の力で演奏し,舞い手は,この舞にかぎって手に何も持たず,両袖を張って舞い,頭(かしら)を振ったりそり返るなど独特の型がある。《石橋(しやつきよう)》の後ジテが舞うのが代表例であり本旨だが,《望月》のシテが余興に舞う獅子舞,金剛流《内外詣(うちともうで)》のシテ神官が舞う神事の獅子舞もあり,現行曲ではこの3番にだけある。《石橋》では獅子口(ししぐち)という面をかけるが,他の2番は直面(ひためん)に獅子頭(赤頭(あかがしら)に金扇2本をはさんだもの)をつけ覆面する。なお,狂言にも能の獅子舞を模した獅子舞を演ずる曲として,大蔵流に《獅子聟》,和泉流に《越後聟》があるが,ともに稀曲である。
執筆者:羽田 昶(3)近世邦楽 《獅子》と題する独立曲は少ないが,曲名の末尾に〈獅子〉の語をもつ曲が非常に多く,〈獅子物〉として統括される。能の《石橋》に基づく〈石橋物〉とは区別されるが,広義には両者を総合して〈獅子物〉ということがある。〈獅子物〉の源流は,風流(ふりゆう)の〈鹿踊〉に基づくと思われ,民俗芸能の囃子の器楽性を近世邦楽化することに始まった。《糸竹初心集》《糸竹大全》などに収録される《ししおどり》が,尺八,三味線,箏などの近世楽器による合奏曲としての古態を示す。その後,尺八音楽と地歌・箏曲とが別個の発展を遂げたため,それぞれ独自の〈獅子物〉の楽曲を成立させていくが,地歌に付随する胡弓の音楽においては,尺八との関連がより強く認められる。尺八では,現行の琴古流では《栄獅子》《目黒獅子》などのみであるが,ほかに錦風流の《獅子》,明暗真法(みようあんじんぽう)流の《獅子踊》《堺獅子》《六段獅子》,明暗対山流の《雲井獅子》《栄獅子》など,さまざまな〈獅子物〉の曲があって,相互の影響・異同が著しい。地歌では,《八千代獅子》《三段獅子》《都獅子》《難波獅子》などの古曲が,まず〈手事物〉(手事)の代表曲となり,手事物の発展につれて,《越後獅子》《東(吾妻)獅子》《御山獅子》などの名曲が作られ,箏曲化もされた。ここにいたって,必ずしも風流系の〈獅子〉と限定されず,詞章面では,神楽系ほか,さまざまな〈獅子〉を採り入れたものとなったが,音楽面では,とくに器楽性を強調したものであって,単に〈獅子〉の名を借りたにすぎないものとなった。これらの地歌の影響を受けて,歌舞伎舞踊のための三味線音楽でも,《越後獅子》(長唄),《鞍馬獅子》(富本),《勢(きおい)獅子》(常磐津)など,〈石橋物〉とは異なる系列の〈獅子物〉も生まれた。
→鹿踊 →獅子舞
執筆者:平野 健次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
哺乳(ほにゅう)類食肉目ネコ科の猛獣ライオンlionの称。「師子」とも書く。古来百獣の王とされ、たたえて「獅子王」ともよんだ。その威容および迅速勇猛な性質から、多くの民族において力や権威、王権などの象徴となっている。東アジアでは、これをもとに想像上の獣が考えられた。仏教では、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の乗り物であり、「獅子吼(く)」は、獅子の咆哮(ほうこう)が百獣を威服させるところから、釈迦(しゃか)の説法を比喩(ひゆ)する。「獅子座」は仏の座席、転じて高僧の座をいう。獅子には悪魔を圧する霊力があると信じられたために、門や扉の守護物とする習俗が生じ、日本でも、神社の社前や宮中の鎮子(ちんし)に、狛犬(こまいぬ)と対をなして獅子の像を置き魔除(よ)けとした。新年や祭礼に「獅子頭(がしら)」をかぶって舞う「獅子舞」も、悪霊退散の呪術(じゅじゅつ)であり、日本へは中国から伝来した。なお、「唐獅子(からじし)」(外国の獣(しし)の意)は、絵画彫刻に装飾化した獅子をいう場合があり、ことに牡丹(ぼたん)の花との配合はもっとも絢爛(けんらん)豪華な意匠である。
[兼築信行]
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…演目の順序は文献により多少の差はあるが,ここでは《教訓抄》に従う。(1)《獅子(師子)》 壱越(いちこつ)調。内容は不明だが,今日の獅子舞のように場を清めるものであったと推定され,《陵王》破に似ているという。…
…その起源はペルシアやインド地方にあるが,日本ではその異形な姿を犬と思い,日本犬とはちがっているので,異国の犬すなわち高麗(こま)の犬と考えたのである。したがって狛犬と獅子と形を混同したものがあるが,平安時代には明確に区別していた。たとえば清涼殿の御帳前や天皇や皇后の帳帷の鎮子(ちんず)には獅子と狛犬が置かれ,口を開いたのを獅子として左に置き,口を閉じ頭に1角をもつもの(人の邪正をよく知るという獬豸(かいち)といわれる獣)を狛犬として右に置いた。…
…シシ(獅子)の別名をもち,〈百獣の王〉と呼ばれ,ネコ科ではトラと並ぶ強大な食肉類(イラスト)。かつてはバルカン半島,アラビア半島からインド中部までと,アフリカの大部分に分布したが,人間との競合で分布をしだいに狭め,前100年ころにはギリシアで滅び,1858年にアフリカのケープ,65年ナタール,91年アルジェリア,1920年ころモロッコやイラク,30年ころにはイランから姿を消し,現在ではアジアではインド北西部カティアーワール半島のギル森林に一亜種インドライオンP.l.persicaが180頭ほど生息するにすぎない。…
…能の舞事には,笛(能管)・小鼓・大鼓で奏する〈大小物(だいしようもの)〉と太鼓の入る〈太鼓物〉とがあるが,その両者を含めて,笛の基本の楽句である地(じ)の種類によって分類されることが多い。すなわち,呂中干(りよちゆうかん)の地といわれる共用の地を用いる〈序ノ舞〉〈真(しん)ノ序ノ舞〉〈中ノ舞(ちゆうのまい)〉〈早舞(はやまい)〉〈男舞(おとこまい)〉〈神舞(かみまい)〉〈急ノ舞〉〈破ノ舞(はのまい)〉などと,それぞれが固有の地を用いる〈楽(がく)〉〈神楽(かぐら)〉〈羯鼓(かつこ)〉〈鷺乱(さぎみだれ)(《鷺》)〉〈猩々乱(《猩々》)〉〈獅子(《石橋(しやつきよう)》)〉〈乱拍子(《道成寺》)〉などの2種がある。〈序ノ舞〉は女体,老体などの役が物静かに舞うもので,《井筒》《江口》《定家》などの大小物と《小塩(おしお)》《羽衣》などの太鼓物がある。…
…そこへ偶然,主人安田庄司の敵(かたき)である望月秋長(もちづきのあきなが)(ワキ)が宿泊する。小沢はなにくわぬ顔で望月を歓待し,花若の母を盲御前(めくらごぜ)に仕立てて花若とともに座敷に出し,曲舞(くせまい)を歌わせたり,花若に太鼓踊をさせたりした末(〈クセ・羯鼓(かつこ)〉),自分も獅子舞を舞う(〈獅子〉)。そして望月が居眠ったすきを見ておどりかかり,花若と2人で敵討ちをしとげる。…
…〈安摩乱声〉も,同一旋律を三つの声部が少しずつずらせて奏するが,ほかの乱声と同じくリズムが非拍節的である点が大きく異なる。能の乱序は〈獅子〉という舞事の前奏として奏されるもので,その後半に舞手が登場する。登場の直前に露ノ手(露ノ拍子などとも)と称する特別な部分が挿入されるので,乱序は序奏部分・露ノ手・登場部分という構成になる。…
※「獅子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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