駿河台北甲賀町(読み)するがだいきたこうがちよう

日本歴史地名大系 「駿河台北甲賀町」の解説

駿河台北甲賀町
するがだいきたこうがちよう

[現在地名]千代田区神田駿河台かんだするがだい一丁目・同三丁目

明治五年(一八七二)起立駿河台西紅梅するがだいにしこうばい町・同東紅梅町の南に位置する町で、一帯観音坂と通称(東京区分町鑑)。観音坂は神田淡路かんだあわじ町一丁目と同二丁目の境にある坂。慶長元年(一五九六)三河から移ってきた浄念じようねん(のち浅草に移転)の観音にちなむという(寺社備考)。沿革図書によると、延宝年中(一六七三―八一)は浅羽孫三郎などの武家地。文久元年(一八六一)は小栗豊後守など二〇軒の武家地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む