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高倉永祜 たかくら ながさち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高倉永祜 たかくら-ながさち

1839*-1868 幕末の公卿(くぎょう)。
天保(てんぽう)9年11月16日生まれ。慶応2年従三位にのぼる。戊辰(ぼしん)戦争で北陸道鎮撫(ちんぶ)総督,会津(あいづ)征討総督をつとめ,ついで奥羽征討越後口(えちごぐち)総督となったが,慶応4年7月29日越後(新潟県)高田の陣中で病没した。31歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の高倉永祜の言及

【北越戦争】より

戊辰戦争のうち越後中・北部の戦争。江戸開城後も会津藩や庄内藩などは抵抗の姿勢を示し,越後平野に出兵し,やがて奥羽越列藩同盟を結成する。新政府は,1868年(明治1)4月14日,薩摩藩,長州藩などを会津征討のため越後方面に出兵させ,高倉永祐を北陸道鎮撫総督に任命し,黒田清隆,山県有朋を参謀に起用した。新政府軍は,動向に疑惑をもたれた長岡藩めざして進撃し,5月に柏崎に本営を,小千谷と関原に会議所を,高田に民政局を設立した。…

※「高倉永祜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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