改訂新版 世界大百科事典 「高倉範子」の意味・わかりやすい解説
高倉範子 (たかくらはんし)
生没年:?-1200(正治2)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…はじめ花山院忠雅の娘を妻としたが,仁安・嘉応(1166‐71)ころ平教盛の娘をめとり,全盛期の平氏の後援をたのんで政界に進出。また高倉天皇の近臣として重きをなしたが,平氏の西走(1183)後は後鳥羽天皇の乳母高倉範子を室に迎えるなどして政治的立場の更新をはかり,後白河法皇近臣の列に加わった。才幹人にすぐれ,1185年(文治1)源頼朝の申請により議奏公卿に選任,建久初年には頼朝の長女大姫の入内(じゆだい)工作を依頼されるなど,関東の信任をも得た。…
※「高倉範子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...