卿局(読み)きょうのつぼね

日本大百科全書(ニッポニカ) 「卿局」の意味・わかりやすい解説

卿局
きょうのつぼね
(1155―1229)

鎌倉初期の女性で、藤原範兼(のりかね)の女(むすめ)。名は兼子。1199年(正治1)典侍(てんじ)、1204年(元久1)従三位(じゅさんみ)、07年(承元1)従二位となり、父範兼が刑部卿(ぎょうぶきょう)であったから、卿典侍、卿三位、卿二位、卿局などとよばれた。後鳥羽(ごとば)天皇乳母(めのと)として重んぜられ、その院政に介入した。鎌倉幕府3代将軍実朝(さねとも)がその夫人を京都に求めたときは、親縁の坊門信清(ぼうもんのぶきよ)の女の斡旋(あっせん)に努め、また実朝の後継者として後鳥羽上皇の子冷泉宮頼仁(れいぜいのみやよりひと)親王北条政子(まさこ)に推すなど大いに手腕を発揮したが、これらはいずれも公家(くげ)勢力を幕府に注入しようとする院政の方針に沿ったもので、上皇の意を受けてのことであったであろう。しかし、承久(じょうきゅう)の乱(1221)の失敗後、その勢力もしだいに衰えた。

[新田英治]

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改訂新版 世界大百科事典 「卿局」の意味・わかりやすい解説

卿局 (きょうのつぼね)
生没年:1155-1229(久寿2-寛喜1)

鎌倉前期の女性政治家。藤原兼子。〈卿〉の称は父範兼の刑部卿による。官位により卿典侍,卿二位とも呼ばれる。最初後鳥羽院司藤原宗頼に嫁し,のち藤原頼実と再婚。後鳥羽上皇の乳母であったことから院の信任を得て院政に重きをなした。源実朝に養女(坊門信清の娘)をめあわせたり,実朝死後の鎌倉将軍にみずからが養育した頼仁親王を推すなど,その活躍は幕府側の北条政子とよく対比される。承久の乱後その権勢は衰えた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「卿局」の解説

卿局 きょうのつぼね

1155-1229 鎌倉時代の女官
久寿2年生まれ。刑部卿(ぎょうぶきょう)藤原範兼(のりかね)の娘。後鳥羽(ごとば)天皇の乳母(めのと)として院政に介入し,将軍源実朝の妻に自分の養女(坊門信清の娘)をすすめ,実朝の後継に頼仁親王を推すなど,幕府対策に手腕を発揮。承久(じょうきゅう)の乱後勢力をうしなった。寛喜(かんぎ)元年8月16日死去。75歳。名は兼子。通称は卿二位とも。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「卿局」の意味・わかりやすい解説

卿局
きょうのつぼね

[生]久寿2(1155)
[没]寛喜1(1229).8.16. 京都
藤原範兼の娘兼子。後鳥羽天皇の乳母であったため,後鳥羽院政で隠然たる権勢をふるい,朝幕関係の改善に努力したが失敗。承久の乱で後鳥羽上皇が隠岐に配流されたため,失意のうちに没した。卿二位とも呼ばれた。

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