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平安後期の天皇(在位1107~23)。名は宗仁(むねひと)。康和(こうわ)5年1月16日生まれ。堀河(ほりかわ)天皇の第一皇子。母は藤原実季(さねすえ)の娘苡子(いし)。生後7か月で立太子。父堀河天皇の病死の後を受けて1107年(嘉承2)5歳で即位したが、専制的な院政を行っていた祖父白河(しらかわ)上皇により23年(保安4)皇太子顕仁(あきひと)親王に譲位させられた(崇徳(すとく)天皇)。29年(大治4)白河の死後、崇徳、近衛(このえ)、後白河(ごしらかわ)三天皇28年間にわたって院政を行った。皇后待賢門院(たいけんもんいん)との仲が不和であり、藤原忠実(ただざね)の娘勲子(くんし)(のち泰子(たいし)と改める)を、上皇としては異例の皇后とした(高陽院(かやのいん))が、男子が生まれなかったので、藤原長実(ながざね)の娘得子(とくし)を入内(じゅだい)させ(美福門院(びふくもんいん))、皇子体仁(なりひと)親王が生まれた。生後3か月で皇太子とし、41年(永治1)崇徳天皇を譲位させ3歳で皇位につけ(近衛天皇)、同年自分は出家して法皇となった。55年(久寿2)近衛天皇が17歳で後嗣(こうし)もないまま早世すると、雅仁(まさひと)親王を皇位につけた(後白河天皇)。荘園(しょうえん)整理を強行した白河院政を転換し、寄進地系荘園を大量に認め、自らも安楽寿院(あんらくじゅいん)、八条女院(はちじょうにょいん)、歓喜光院(かんぎこういん)領荘園などを膨大に集積し、20回を超える熊野詣(くまのもう)でを行うなど白河と同様専制君主としての道を歩んだ。「わたしの出生は人力によるものではなく、神のしわざである」と自賛し、「天下を政(まつりごと)するは、上皇御一人なり」とも評された。また、「わたしが世を去ったならば、天下はたちまち乱れるであろう」(台記(たいき))と予言したといわれている。死の直後、予言どおりに保元(ほうげん)の乱が勃発(ぼっぱつ)した。保元元年7月2日死去。墓は京都市伏見(ふしみ)区竹田内畑(たけだうちはた)町の安楽寿院陵。
[川島茂裕]
『安田元久著『日本の歴史7 院政と平氏』(1974・小学館)』
(上杉和彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
第74代に数えられる天皇。在位1107-23年。父は堀河天皇,母は女御(贈皇太后)苡子(藤原実季女)。諱(いみな)は宗仁。誕生の年に立太子,1107年(嘉承2)堀河天皇が没し即位。藤原忠実が摂政となる。13年(永久1)元服。23年(保安4)祖父白河法皇の意志で第1皇子顕仁親王(崇徳天皇)に譲位。崇徳は鳥羽の中宮璋子所生であるが,実は白河の子といわれる。29年(大治4)白河法皇が没して以後は崇徳,近衛,後白河の3代にかけて院政を行う。その間41年(永治1)出家し法皇となった。法名は空覚。鳥羽院政はそれまでの荘園整理方針を転換するなど強い白河院政の変更がみられるが,最勝寺をはじめとする六勝寺など盛んな造寺・造仏や熊野詣,平氏一門の重用,強訴の横行などはその延長線上にある。また鳥羽に疎外された崇徳上皇の不満,璋子(待賢門院)・得子(美福門院)両后派の対立,摂関家の内紛,源・平武士団内の対立などがからみ,不安な政情を内包していたが,鳥羽が没すると直ちに保元の乱が起こった。陵は京都市伏見区の安楽寿院陵。
執筆者:黒板 伸夫
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1103.1.16~56.7.2
在位1107.7.19~23.1.28
堀河天皇の第1皇子。名は宗仁(むねひと)。母は藤原実季の女苡子(いし)。祖父白河上皇の待望の皇嗣として誕生し,1歳で皇太子に立てられた。5歳で父の死去により践祚。1117年(永久5)白河に養育された藤原璋子(しょうし)(待賢門院,公実の女)が入内し,19年(元永2)長子(崇徳(すとく)天皇)の誕生をみた。この頃から白河と天皇との確執が生じたらしい。20年(保安元)の関白藤原忠実(ただざね)勅勘事件ののち,23年に天皇は白河の意志によって崇徳に譲位させられた。しかし,白河の死後,鳥羽上皇は忠実を政界に復帰させ,皇位継承についても藤原得子(美福門院,長実の女)の所生子(近衛天皇)を後継者に決め,41年(永治元)崇徳からこれに譲位させた。さらに55年(久寿2)近衛が病死すると,皇位に後白河天皇をあて,崇徳をあくまでも排除した。翌年,上皇は死去し,同時に保元の乱がおきることになる。
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…1156年(保元1)に起こった京都の争乱。〈ほげんのらん〉ともいう。皇室・摂関家内の勢力争いに源平2氏の武力が介入して勃発した。白河院政開始(1086)後,朝廷には〈治天の君(ちてんのきみ)〉=院と天皇と二つの権力が競合併存することとなり,それにともなって勢力争いは複雑かつ熾烈化していった。白河院没(1129)後はその子鳥羽上皇が院政をとったが,鳥羽院は1141年(永治1)崇徳(すとく)天皇(鳥羽院の子。…
※「鳥羽天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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