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承明門院 しょうめいもんいん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

承明門院
しょうめいもんいん

[生]承安1(1171).京都
[没]正嘉1(1257).7.5. 京都
後鳥羽天皇後宮源在子。父は内大臣源通親,母は刑部卿範兼の娘藤原範子。後鳥羽天皇に入侍し,宰相君と称した。その所生の為仁親王 (土御門天皇) が即位するに及んで,正治1 (1199) 年従三位に叙せられ准三宮となり,建仁2 (1202) 年院号宣下を受けて承明門院と号した。建暦1 (11) 年落飾。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

承明門院 しょうめいもんいん

1171-1257 鎌倉時代,土御門(つちみかど)天皇の母。
承安(じょうあん)元年生まれ。父は能円。母は藤原範子(はんし)。源通親(みちちか)の養女。後鳥羽(ごとば)天皇の後宮にはいり,宰相君とよばれる。建久6年皇子為仁(土御門天皇)を生み,正治(しょうじ)元年准三宮となる。建仁(けんにん)2年院号をあたえられた。のち出家し,法名は真如妙(観)。正嘉(しょうか)元年7月5日死去。87歳。名は在子(ざいし)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

承明門院

没年:正嘉1.7.5(1257.8.15)
生年:承安1(1171)
鎌倉前・中期の女院。後鳥羽天皇の後宮で,土御門天皇の母。名は在子。法勝寺執行法印能円と後鳥羽天皇の乳母藤原範子(範兼の娘)の子。宰相局と称して後鳥羽天皇に仕え,建久6(1195)年天皇とのあいだに第1皇子為仁(土御門天皇)を生んだ。為仁は権臣源通親に養育され,在子も通親の養女となった。これは能円が平氏と共に都落ちしたのち母範子が通親と再婚していたからである。同9年為仁が即位すると,その翌正治1(1199)年従三位,准后となったが,このころには後鳥羽の寵愛は藤原範季の娘(修明門院)に移っていた。建仁2(1202)年院号宣下。承久の乱後は土御門天皇の子どもたちを保護,後見したが,そのなかのひとりが即位したことにより(後嵯峨天皇),恵まれた晩年を送った。

(秋山喜代子)

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうめいもんいん【承明門院】

1171‐1257(承安1‐正嘉1)
後鳥羽天皇の後宮源在子(ざいし)の院号名。父は法印能円,母は藤原範子。範子の再嫁に従い源(土御門)通親の養育を受け,やがて天皇の後宮に入り宰相君と称す。1195年(建久6)皇子為仁を生み,98年為仁即位(土御門天皇)に及び,翌年従三位,准三宮。1202年(建仁2)院号宣下。11年(建暦1)出家。法名真如観。通親の権勢を維持・発展させるのに寄与した生涯であった。【杉橋 隆夫】

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大辞林 第三版の解説

しょうめいもんいん【承明門院】

1171~1257) 後鳥羽天皇の後宮。名は源在子。源通親の養女。土御門天皇の生母。1202年院号宣下。

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世界大百科事典内の承明門院の言及

【高倉範子】より

…卿二位兼子(卿局(きようのつぼね))の姉。はじめ平時子と同腹の能円(のうえん)に嫁し,在子(のちの承明門院)をもうける。1180年(治承4)後鳥羽天皇が誕生するや妹とともに乳母に上がったが,夫や平氏一門の西走に同行せず,やがて在子を伴って源通親に再嫁した。…

※「承明門院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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