(櫻井陽子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
平安末期の女性。平清盛(きよもり)の妻。兵部権大輔(ひょうぶごんだいすけ)平時信(ときのぶ)の女(むすめ)。兄は清盛の側近の権大納言時忠(ごんのだいなごんときただ)、妹滋子(しげこ)は後白河(ごしらかわ)上皇の女御(にょうご)。清盛との間に、宗盛(むねもり)、知盛(とももり)、重衡(しげひら)、徳子(とくこ)らをもうけ、1168年(仁安3)清盛とともに出家し、71年女(むすめ)徳子が高倉(たかくら)天皇の中宮(ちゅうぐう)になってから従(じゅ)二位に叙せられたので「二位尼(にいのあま)」と称された。80年(治承4)三后(さんごう)に准ぜられ、翌年清盛が死ぬと平家一門の後見的立場を占めたが、文治(ぶんじ)元年3月24日、長門(ながと)国(山口県)壇(だん)ノ浦(うら)の戦いで平家が滅亡した際、安徳(あんとく)天皇を抱いて入水(じゅすい)した。
[田中文英]
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1126~85.3.24
平清盛の妻。父は平時信。母は藤原家範の女(孫とも)。時忠は同母弟。六波羅二位・八条二位・二位尼(にいのあま)・二品尼と称す。美福門院女房。平清盛の妻となり,宗盛・知盛・重衡および高倉天皇の中宮となった徳子を産んだ。1180年(治承4)准后,翌年には従二位に叙され,平家一門のなかで影響力をもった。83年(寿永2)平家の都落ちに従い,85年(文治元)壇ノ浦で安徳天皇を抱いて入水。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…安徳天皇の即位(1180)により,清盛は天皇の外祖父の地位を得ることとなる。また高倉天皇自体,清盛の妻平時子の妹滋子(じし)(建春門院)が後白河院のもとに入って1161年(応保1)に生んだ天皇であった。この時子・滋子姉妹は桓武平氏高棟(たかむね)王系の平時信の子で,堂上公家平家の出であり,また桓武平氏の本宗の流れをくむ家柄である。…
…平安末期の女性。平時子。平清盛の妻。…
※「平時子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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