高原諏訪城跡(読み)たかはらすわじようあと

日本歴史地名大系 「高原諏訪城跡」の解説

高原諏訪城跡
たかはらすわじようあと

[現在地名]神岡町殿・和佐保

しも館跡背後の殿との和佐保わさぼにまたがる山稜、標高六二四メートルの保木戸平ほきとびら山頂を中心に構築された中世山城で、面積約八一八七平方メートル。室町時代後期から戦国時代末期の縄張りと推定される。昭和五二年(一九七七)地形測量遺構確認・実測調査が実施され、本丸跡といわれる独立山嶺に遺構が集中し、比較的単純な構造形式とされていたが、二の丸あるいは出丸とされる区域の付属遺構、延長一・五キロにも及ぶ尾根上に散在する遺構が新たに発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む