高城規一郎(読み)タカギ キイチロウ

20世紀日本人名事典 「高城規一郎」の解説

高城 規一郎
タカギ キイチロウ

明治〜昭和期の鉱業技術者,実業家



生年
明治2年11月12日(1869年)

没年
昭和4(1929)年3月22日

出生地
羽後国秋田(秋田県)

学歴〔年〕
帝国大学工科大学採鉱冶金科〔明治28年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔大正8年〕

経歴
秋田藩士の長男に生まれる。明治28年三井鉱山に入社し、三池炭礦に勤務。29年七浦坑主任、32年萬田堅坑開坑主任となり、37年欧米鉱業の視察を命じられ、38年帰国。のち三池炭礦技師長、45年三井鉱山本店技師長兼北海道事業監督を務める。大正2年北海道炭礦汽船に移り取締役、のち常務となり直接炭鉱現業を監督し拡張・整理に任じた。また石狩石炭取締役、北海道製鉄取締役を兼任。晩年は三井合名重役を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高城規一郎」の解説

高城規一郎 たかぎ-きいちろう

1869-1929 明治-昭和時代前期の技術者,実業家。
明治2年11月12日生まれ。三井鉱山に入社し,三池炭礦技師長,三井鉱山本店技師長兼北海道事業監督をつとめる。大正2年北海道炭礦汽船にうつり,取締役。のち三井合名重役。昭和4年3月22日死去。61歳。羽後秋田出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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