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炭鉱 たんこうcoal mine; colliery

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

炭鉱
たんこう
coal mine; colliery

石炭を採掘する鉱山。採掘する鉱山そのものと,採掘した原炭を選別して商品として積出す付属施設を総称する。坑内掘り露天掘りに大別されるが,日本の炭鉱はほとんどが前者である。海外では,中国,北アメリカ,旧ソ連,オーストラリアなどに大規模な露天掘り炭鉱が存在する。後者のほうが,技術的にも,経済的にも有利であり,さらに炭質および坑内自然条件に恵まれない日本の炭鉱は,経済性および技術性から激減した。

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デジタル大辞泉の解説

たん‐こう〔‐クワウ〕【炭鉱/炭×礦】

石炭を掘り出す鉱山。

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百科事典マイペディアの解説

炭鉱【たんこう】

石炭亜炭を採掘している所。炭層が地下浅所にあるときは露天掘りが,深部のときは坑内掘が行われるが,前者の例は日本にはない。地質条件に応じて,採炭法,運搬,通気などの総合的な計画のもとに斜坑,立(たて)坑を開さくするが,深いものでは地下1000mに達することもある。
→関連項目鉱山炭柱

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世界大百科事典 第2版の解説

たんこう【炭鉱 coal mine】

石炭または亜炭の採掘を行っている所をいう。これに対し,実際に採炭されていなくても採掘可能な炭層を含む夾炭(きようたん)層が連続性をもって分布し,地理的に広い面積を占める地域は炭田という。 炭鉱で石炭を採掘するうえには次のようないろいろの問題点がある。(1)炭層は地中に埋蔵され地表に露頭としてわずかに現れている場合もあるが,一般には炭層の存在状態を地表から実見することはできない。そのため地質探査,物理探査,試錐等により,その存在状態を把握しなければならない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

炭鉱
たんこう
coal mine

石炭は地下に埋蔵されている。それを採掘して、地表まで運搬する作業が採炭である。採掘したばかりの石炭には、通常岩石等の不純物が混じっていて、切込炭(きりこみたん)(または原炭(げんたん))という。切込炭は「選炭」という操作によって、石炭分のみを選別分離し精炭(せいたん)がつくられ、商品となる。以上のプロセスを行う場所と設備を「炭鉱」という。[磯部俊郎]

炭鉱の成立条件

「炭鉱は石炭を生産販売する企業活動である」とも定義できるが、つねに以下の二つの要件が満足されていなければならない。
(1)いうまでもなく石炭はエネルギーであり、現在、石油、天然ガスと並んで人類の三大化石エネルギー源の一つである。しかも、これを採掘するには、電力、労力、その他有形、無形のエネルギーが消費される。すなわち、石炭エネルギー採取のため投下されるエネルギーが獲得される石炭エネルギーより少量でなければ、石炭を掘る価値はまったくない。現在、稼行(採掘の意味)している炭鉱では大幅にこの条件を満足している。なお、ダイヤモンド等の宝石類や金属鉱物などはエネルギーではなく、経済価値のみで採掘の可否が決まる。
(2)採掘した原炭を選別して商品炭にし、利用者に売り渡して代金(炭代(たんだい)または山元手取(やまもとてどり)、略して山手(やまて)ともいう)を受け取るまでには、資材費、労務費、動力費および設備の償却費、租税公課、借入金の返済および支払い利子等々の費用がかかる。これら諸経費を支払った残りが山元利潤である。さらにこれから本社費および販売経費が差し引かれて企業としての純利益となる。しかし、どの炭鉱でも可採炭量は有限であり、いずれ閉山しなければならない。したがって、引き続いて新しい採掘区域を設定し、新炭鉱を建設して、設備、人員等を配置転換し、生産を再開して、石炭企業の永続性を期待する必要がある。このため、旧炭鉱の営業利潤のうち一部を蓄積し、新鉱開発資金に充当すべきである。以上のような経済性が成り立つことが、炭鉱成立に必要な第二の要件である。[磯部俊郎]

炭鉱の種別

炭鉱を大きく分類すれば、「露天(ろてん)炭鉱」と「坑内掘(こうないぼり)炭鉱」に分類される。前者については、「採炭」の項に詳述してあるのでそこを参照されたい。坑内掘炭鉱とは、石炭採掘のため地下に坑道網が展開されている炭鉱で、ここではそれについてのみ説明する。[磯部俊郎]

主要坑内骨格構造

地下に坑道をつくるには、入口となる坑口(こうぐち)を設けなければならない。坑口位置の決定はきわめて重要で、これを誤ると炭鉱の死命を制することさえある。選定要件は、交通の便、地下の可採炭層群に容易に接近できる坑道の起点であること等である。また、洪水・崖(がけ)崩れ等の天災地変の影響を受けにくいこと、事務所、繰込場(くりこみば)(労働者が当日の作業指示を受けるための集合場所)、坑内へ送る動力設備、車両の待線(まちせん)、製修工場および資材置き場などをつくるための用地が確保できること、水の便のよいことも考慮しなければならない。
 一方、坑口はつねに複数個必要で、そのうちいくつかは坑内に新鮮な空気を取り入れる入気(にゅうき)坑口で、残りは坑内を流動して汚れた空気を排出するための排気坑口である。
 坑口位置が決まると、そこを起点として、炭層群の採掘のため、主要運炭坑道、主要入排気坑道および坑内作業員の入昇坑(にゅうしょうこう)のための人道等が掘削される。これら坑道は二群に分類され、その一群は肩(かた)から深(ふけ)へ向かって延びていくもので、立坑(たてこう)および斜坑(しゃこう)である。しかし、炭層の状況により深へ向かわず奥部に進む水平坑道を掘削することもあり、これを通洞(つうどう)という。他の一群は、前記立坑および斜坑を結ぶ水平坑道であり、片盤(かたばん)坑道ともいう。したがって坑内は、これら相交わる二群の骨格坑道網によって碁盤目のように区分されている。一方、炭層は堆積(たいせき)当時は水平であったが、その後数千万年あるいは数億年の間に地質的変動を受け、断層、褶曲(しゅうきょく)等のため、走向(そうこう)・傾斜が種々に変動している。主要骨格構造はこの変動に対応して適切につくられなければならない。たとえば、急傾斜炭層には立坑で、比較的傾斜が緩くあまり大きな地質的変動の少ない場合は斜坑で、向斜(こうしゃ)・背斜(はいしゃ)軸が水平に近く、炭層が坑口水準より上部に存するときは通洞開削によるほうがよい。
 採炭は、つねに浅い区域にある炭層から順次深い所に及んでいく。長壁(ちょうへき)式採炭法を用いるとき、切羽(きりは)面の長さは100ないし200メートルが技術上の常識であり、その長さにあわせて片盤間の垂直距離を定める。ただし炭層傾斜が60度以上にもなれば、切羽面長は数十メートルぐらいにとることが多く、そのときは片盤垂直距離は数十メートルとなる。片盤坑道からは、炭層に当てる立入(たていれ)坑道を100ないし500メートル置きに掘る。これら立入坑道はだいたい同じ長さであることが望ましいので、片盤坑道は炭層と定距離にある水平坑道であり、炭層の走向に平行な坑道となる。
 地下の採掘区域では、立坑または斜坑は、水平距離2000ないし3000メートル置きにつくるのが普通で、これら斜坑・立坑を垂直距離数十メートルごとに掘削した水平片盤坑道で結ぶ構造になっている。すなわち長方形の碁盤目構造である。
 次に入排気、運炭および人の通行について述べる。坑口のうちいくつかは入気に、ほかは排気に用いることはすでに説明した。では坑内を流れる気流中どこまでを入気、どこからが排気というかについて、ひと口にいえば、人が働いている作業場に入るまでの気流が入気、それ以後が排気である。坑内から湧出(ゆうしゅつ)する有毒・有害ガスを希釈排出するために通気を行うが、そのほか、ある坑内地区に爆発、ガス突出、坑内火災等の災害が起きたとき、他区域への拡大伝播(でんぱ)を防止するため、入気は坑道の分岐点ごとに分流し、最終的には1作業場1分流にする。このことを「独立分流方式」といい通気上の原則となっている。独立分流入気は、作業場を洗ったのち、ふたたび順次合流して大きな流れとなり、排気坑口に達して放流される。
 さて、運炭には機関車を用いる列車方式、あるいはベルトコンベヤー等によるため、各種の機械および電気設備が運炭坑道に集中していて、ガス等の混入している排気坑道には設置できない。そのため、入気片盤および分流前の総入気坑道が多くの場合運炭坑道になっている。人の入昇坑も前記の意味で入気坑道が多い。しかし、冬期間など気温が零下十数℃以下にもなる所では、総排気道を入昇坑に用いる場合も少なくない。
 最後に入排気坑口の配置の方法である。採掘区域の中心(かならずしも中心であることは必要ない)に入排気坑道を並べて配置するのを「中央式」、入気坑口から離して採掘区域周囲に排気坑口を配列する方法を「対隅式」という。保安上は対隅式が推奨されているが、起業開始より営業までの期間が短縮できるのは中央式である。
 なお、採炭法、選炭については「採炭」「選炭」の項を参照されたい。[磯部俊郎]

日本の炭鉱

石炭が「燃える石」として古文書にとどめられているのは15世紀以降のことであるが、近代的方法によって採掘され始めたのは、1873年(明治6)三池(みいけ)および高島炭鉱が官営として発足したころである。その後、民営に移管されるとともに、九州では筑豊(ちくほう)、唐津(からつ)、佐世保(させぼ)、宗像(むなかた)、福岡等の諸炭田、北海道では石狩(いしかり)、釧路(くしろ)、天北(てんぽく)、留萌(るもい)、苫前(とままえ)等の諸炭田、加えて常磐(じょうばん)、宇部(うべ)等の本州炭田も開発され、炭鉱数、生産量ともにしだいに増加していった。すなわち、1912年(大正1)には、日本の年間石炭生産高は1964万トンにも達していた。その後1919年までは徐々に生産量が上昇して3100万トンにもなったが、第一次世界大戦後の不況の影響で、1931、1932年(昭和6、7)までは生産の伸びは一時鈍化した。そして日中戦争が太平洋戦争へと拡大された1933年以降、石炭増産の国策に沿って生産量はうなぎ登りに上昇、1945年の敗戦を迎えるころには、年5000万トン余を掘っていた。
 しかし、戦後の国全体を覆った虚脱感と戦時中の増産一本やりの採掘のため、坑内は荒廃し、生産は一挙に半分以下の2000万トン台に急落し、深刻なエネルギー不足を招来した。ちなみに、1946年(昭和21)の国内産炭量は2250万トン、炭鉱数は407であった。そこで政府およびGHQ(連合国最高司令部)は、戦後の復興と再建には石炭と鉄鋼の増産が超重点項目であると考え、この二者に対して労働力、資材、食糧の特配等を伴ういわゆる「傾斜生産方式」を実施した。そのかいがあって、1948年に3000万トン突破、3年後の1951年には4000万トンを超え、1957年(昭和32)には5000万トンの大台に達した。当時、炭鉱数864、労働者数は約36万人であった。
 しかし、その後「エネルギー革命」という、流体エネルギーである石油の進出は炭鉱存続の危機をもたらし、政府は石炭産業の保護育成のため、石炭鉱業臨時措置法、石炭鉱業審議会等を発足させたが、石炭産業の斜陽化は抑止できなかった。また1973年(昭和48)以来最近まで再三の石油供給の不安に起因する石炭見直しがあったが、輸入炭との間の価格差がむしろ国内炭低落傾向に拍車をかけていた。
 このように、ここ20~30年の間に、石炭産業が衰退したのは日本だけの特有の傾向ではなく、世界でも主要な産炭国であったイギリス、ドイツ、フランスなども多少の違いはあるが、同じような道程をたどっている。原因は、前述の石油の進出に基づくエネルギー革命に加えて、炭鉱自身の問題として、採掘区域の深部化、奥部化のため、低コストで安全に採掘できる炭量の減少も、また見逃せない要因の一つである。
 ひるがえって、日本では、石炭生産量は1961年(昭和36)の5530万トンをピークに逐年減少、1984年には、炭鉱数30内外、1800万トンをも下回る生産量に、さらにその後、1999年(平成11)には、年産約300万トンを、主として九州と北海道に各1鉱ずつ存続している大手2炭鉱で採掘しているありさまであった。2001年には九州の池島炭鉱が閉山、2002年には北海道の太平洋炭礦が閉山し、小規模経営の炭鉱が残るのみとなった。しかも冷静に判断してみれば、近い将来、国内から炭鉱が消えてしまう懸念すらある。
 一方、日本国内での石炭需要はけっして消滅の傾向にあるどころか、むしろ増大の方向にあり、将来とも発電、製鉄、セメントなどに年1億3000万トンが必要とされている。そして現在も将来もほとんど全量、海外からの輸入に頼っている。なぜ輸入なのかという最大の理由は、国内炭は輸入炭に比べて、1トン当り、約1万円以上も高いからなのである。つまり日本の石炭産業は、まず石油攻勢に屈服させられ、次には海外炭によって息の根を止められたといっても過言ではない。
●資料/炭鉱数
1960年度 693
1965年度 260
1970年度 87
1975年度 36
1980年度 31
1985年度 26
1990年度 20
1995年度 13
1999年度 13
(注)炭鉱数には零細炭鉱も含まれている。
●資料/生産量
1960年度 5107万トン
1965年度 4950万トン
1970年度 3972万トン
1975年度 1908万トン
1980年度 1811万トン
1985年度 1645万トン
1990年度 798万トン
1995年度 624万トン
1999年度 310万トン[磯部俊郎]

炭鉱保安

炭鉱の歴史は災害との闘いの歴史でもある。日本の明治以来の災害率をみても、生産量100万トン当りの殉職者数が20人以下になったのは近代炭鉱発足後約80年経過した1951年(昭和26)以降である。さらに、これが10人未満になったのは1966年よりあとである。
●資料/生産量100万トン当りの死亡率
1960年度 12.1%
1965年度 12.9%
1970年度 4.3%
1975年度 3.6%
1980年度 1.2%
1985年度 5.1%
1990年度 0.25%
1995年度 0.32%
1999年度 0.32%
 炭鉱災害としてよく知られているものは、ガス・炭塵(たんじん)爆発、ガス突出、坑内火災等であり、一時に多数の罹災(りさい)者を出すので世間を騒がせていて、重大災害と称している。しかしながら、1回当りの罹災者数こそ少ないが、落盤、運搬事故などで生産100万トン当り1人内外の殉職者が恒常的に出ている。この種の災害は頻発災害という。保安担当者は、重大災害はもちろんのこと頻発災害の減少に細心の努力をしており、年々災害率が低下している。
●資料/炭鉱労働者数(人)
1960年度 23.1万
1965年度 10.7万
1970年度 4.8万
1975年度 2.25万
1980年度 1.83万
1985年度 1.43万
1990年度 0.48万
1995年度 0.30万
1999年度 0.15万
●資料/災害による死亡者数(人)
1960年度 616
1965年度 641
1970年度 170
1975年度 68
1980年度 22
1985年度 83
1990年度 2
1995年度 2
1999年度 1
●資料/重大災害一覧
1960.02.01 北海道 夕張(ゆうばり)炭鉱でガス爆発 42名死亡
1960.09.20 九州 豊州(ほうしゅう)炭鉱で坑内出水 67名死亡
1960.09.26 九州 籾井(もみい)炭鉱でガス爆発 13名死亡
1960.10.30 北海道 庶路(しょろ)炭鉱でガス爆発 18名死亡
1961.03.09 九州 上清(かみきよ)炭鉱で坑内火災 71名死亡
1961.03.16 九州 大辻(おおつじ)炭鉱で坑内火災 23名死亡
1961.11.30 北海道 福住(ふくずみ)炭鉱でガス爆発 20名死亡
1963.05.07 宇部 大浜(おおはま)炭鉱で坑内出水 15名死亡
1963.11.09 九州 三池炭鉱で炭塵爆発 458名死亡
1963.12.13 九州 糒(ほしい)炭鉱でガス爆発 11名死亡
1965.02.22 北海道 夕張炭鉱でガス爆発 62名死亡
1965.04.09 九州 伊王島(いおうじま)炭鉱でガス爆発 30名死亡
1965.06.01 九州 山野(やまの)炭鉱でガス爆発 237名死亡
1966.03.22 北海道 空知(そらち)炭鉱でガス爆発 12名死亡
1966.11.01 北海道 奔別(ぽんべつ)炭鉱でガス爆発 16名死亡
1968.01.20 北海道 美唄(びばい)炭鉱でガス爆発 16名死亡
1968.05.12 北海道 美唄炭鉱で坑内火災 13名死亡
1968.07.30 北海道 平和(へいわ)炭鉱で坑内火災 31名死亡
1969.04.02 北海道 茂尻(もじり)炭鉱でガス爆発 19名死亡
1969.05.16 北海道 歌志内(うたしない)炭鉱でガス突出 17名死亡
1969.09.22 九州 下山田(しもやまだ)炭鉱でガス爆発 14名死亡
1970.12.15 北海道 砂川(すながわ)炭鉱でガス爆発 19名死亡
1971.07.17 北海道 歌志内炭鉱でガス突出 30名死亡
1972.11.02 北海道 石狩炭鉱でガス爆発 31名死亡
1974.12.19 北海道 砂川炭鉱でガス爆発 15名死亡
1975.11.27 北海道 幌内(ほろない)炭鉱でガス爆発 24名死亡
1977.05.11 北海道 芦別(あしべつ)炭鉱でガス爆発 25名死亡
1979.05.15 北海道 南大夕張炭鉱でガス突出・ガス爆発 17名死亡
1981.10.16 北海道 夕張新鉱でガス突出・ガス爆発 93名死亡
1984.01.19 九州 三池炭鉱で坑内火災 83名死亡
1985.04.24 九州 高島炭鉱でガス爆発 11名死亡
1985.05.17 北海道 南大夕張炭鉱でガス爆発 62名死亡
(注)1960年以降の死亡者10名以上の重大災害[磯部俊郎]

炭鉱集落

炭鉱は住みやすい平地とか、都市周辺には少なく、多くは山間僻地(へきち)にある。そのため、採掘設備のほか、石炭資源の終掘後は、まったく無価値なものになる従業員の居住・生活施設も、あわせて建設しなければ産炭活動ができない。1961年(昭和36)以来、数百の炭鉱が閉山したが、その地区のゴーストタウン化をみれば、このことが裏づけられる。さらに、石炭鉱業が撤退したあとは、地盤の陥没・沈下等々の鉱害、人口離散による過疎化、地域の疲弊が発生する。その対策として「産炭地振興」「鉱害復旧」「炭鉱離職者対策」などに巨費が投下されていて、閉山の爪跡(つめあと)の大きさを物語っている。
 炭鉱があったときは、すべての商・工・運輸業、教育・娯楽さえ炭鉱集落の維持発展と福祉のため存在していた。つまり、石炭生産という単一目的のため企業の造成した従業員の生活圏が炭鉱集落である。炭鉱長は生産・保安確保に全責任があると同時に、集落の長としての働きもする人である。そして、そこの住民は、外界とはあまりつながりがないため、一種独特な炭鉱人気質をもつようになる。彼らは親しく細やかな近所づきあいと、お互いの生活が丸見えであるという、プライバシー護持のむずかしさのなかで生きている。しかし、概して楽天的で、日々の暮らしのなかで生活を楽しんでいる集団でもある。[磯部俊郎]
『杉山英樹著『北方の窓』(1943・小学館) ▽山本作兵衛著・絵『筑豊炭坑絵巻』(1973・葦書房) ▽市原博著『炭鉱の労働社会史』(1997・多賀出版) ▽坪内安衛著『石炭産業の史的展開』(1999・文献出版) ▽通商産業大臣官房調査統計部編『本邦鉱業の趨勢』各年版(通商産業調査会)』

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世界大百科事典内の炭鉱の言及

【石炭鉱業】より

…燃料としては一般炭が,電力事業,都市ガス事業などのエネルギー転換産業や,セメント工業,紙・パルプ工業などエネルギー多消費型の製造業へ供給され,原料としては原料炭が,鉄鋼業,石炭化学工業などへ供給される。西ヨーロッパでは,石炭鉱業会社が発電,ガス供給,コークス製造,石炭化学といった,より下流の部門を同時に手がけている例も多い。しかし,日本ではそうした垂直統合的多角化の例は少ない。…

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