高岑寺跡(読み)たかがみねでらあと

日本歴史地名大系 「高岑寺跡」の解説

高岑寺跡
たかがみねでらあと

京都市北区にあった寺院。「三代実録」貞観一六年(八七四)八月二四日条に「大風雨、折樹発屋、(中略)、権律師法橋上人位宗叡預造御願寺、在山城国愛宕郡栗栖、堂舎顛覆、仏像元在北山城高岑寺、貞観十三年大雨水、自然以大巌石、塞其道路、行人不通、去高岑寺、移立於栗栖野、又去年京師大雨雹、時人皆曰、此三度、因彼像而発」とあり、高岑寺にあった仏像を栗栖くるす(現北区)の御願寺に移したが、この前後に相次いで京を天災が襲い、世人は皆この仏像が災いをもたらしたと噂しあったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報