高木城跡(読み)たかきじようあと

日本歴史地名大系 「高木城跡」の解説

高木城跡
たかきじようあと

[現在地名]佐賀市高木瀬町大字東高木

文永八年(一二七一)国分忠俊らが高城こうじよう寺(現佐賀郡大和やまと春日かすが)へ筥崎はこざき神社の所領を寄進した書状(高城寺文書)に「高木城」がみえる(→高木村。おそくとも平安時代末には佐賀郡の高木に勢力をもった高木氏の本拠であり、建長五年(一二五三)の将軍家政所下文(実相院文書)にも「高木屋敷」がみえる。現在東高木ひがしたかきの高木城跡に比定され記念碑のある場所が、平安時代から鎌倉時代にかけての高木城または高木屋敷かは史料に欠けるうらみはあるが、周囲に堀をめぐらした中に土盛りを施しているのは、館としてふさわしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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