日本歴史地名大系 「高木村」の解説
高木村
たかぎむら
- 宮崎県:都城市
- 高木村
高木村
たかぎむら
- 富山県:新湊市
- 高木村
高木村
たかぎむら
- 兵庫県:西宮市
- 高木村
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
- 宮城県:石巻市
- 高木村
正保郷帳に田三〇貫三九二文・畑五貫九四二文、ほかに同所新田九八九文があり、柴山と注記される。「牡鹿郡万御改書出」によれば、元禄年間(一六八八―一七〇四)には東西三〇町、南北一里四町で、田五九貫四九〇文・畑四貫六九四文・茶畑一貫八〇〇文、うち新田は二八貫六六一文、人頭三二人、男三三二・女三〇七、給人は四竈八郎兵衛ほか九名。
高木村
たかきむら
高城寺文書によれば、文永八年(一二七一)「肥前国佐嘉郡朽井」(現佐賀郡
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
- 大阪府:松原市
- 高木村
高木村
たかぎむら
浦田新村の西、
高木村
たかぎむら
高木村
たかきむら
高木村
たかぎむら
射水平野の南東部、
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
- 兵庫県:三木市
- 高木村
高木町の西に位置し、加古川の支流
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
高木村
たかきむら
- 山形県:天童市
- 高木村
高木村
たかぎむら
高木村
たかきむら
南は尾上村に続き、北は田圃を隔てて
「津軽一統志」によれば、天正一三年(一五八五)四月南部信直は三千の軍勢を率いて、大浦(津軽)為信に降っていた千徳政氏の
正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
天竜川下流域東岸に位置し、西は同川、南は
高木村
たかぎむら
高木村
たかきむら
諏訪湖の東岸にあり、甲州道中に沿う街村。西は
諏訪湖の御神渡の記録である「当社神幸記」(下諏訪町誌)の嘉吉三年(一四四三)の条に「従高木浜鵜木渡」とあるのが初見。古くは高木氏が支配した郷村で、山城に高木城をもち、村の北部の
高木村
たかぎむら
- 愛知県:一宮市
- 高木村
村の中を美濃路が貫き、西方の萩原宿へ一五町、東は
概高は本田七〇三石一斗余、元禄七年(一六九四)新田九石二斗余を開き、本田はすべて一八人の給知で支配され、新田は蔵入地となっている。「寛文覚書」の家数六〇・人数三〇五、元禄一二年には五九軒・二七九人、文政期(一八一八―三〇)には一〇六軒・四四九人とある。
高木村
たかきむら
高木村
たかぎむら
高木村
たかぎむら
- 愛知県:安城市
- 高木村
現安城市の東に位置、古くは
高木村
たかきむら
- 三重県:松阪市
- 高木村
高木村
たかぎむら
高木村
たかきむら
- 富山県:小矢部市
- 高木村
高木村
たかぎむら
松山平野の北平坦部に位置する農村。東は
古代には、和気郡
高木村
たかぎむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報