朝日日本歴史人物事典 「高木馬之助」の解説
高木馬之助
生年:明暦2.1.12(1656.2.7)
江戸中期の武術家。高木流体術腰回りの流祖。右馬之助,馬之輔とも記す。諱は重貞。日向国(宮崎県)生まれとする説もある。16歳で高木折右衛門から極意を授かり,のち竹内流腰回り(小具足)を学んだ。折右衛門は高木流体術(柔術)の創始者だが,馬之助との血縁は不詳。両流を学んだことから高木流体術腰回りと称し,自身の号をとって,別名を格外流ともいった。連鎖三角棒(鎖でつないだ3段の棒)など多くの武器を工夫した。父与兵衛の跡を継いで美作国森家に仕え,やがて浪人し,一時期江戸へ出たのち美濃国に居住した。この地で教えたので,同流は尾張藩に伝統として残ったといわれている。のち京都に移り,死去した。
(加来耕三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報