日本歴史地名大系 「高橋城跡」の解説 高橋城跡たかはしじようあと 広島県:高田郡美土里町生田村高橋城跡[現在地名]美土里町生田 市「芸藩通志」に「池田右馬頭所居、山の西辺を桜山とよぶ、又清水池とよぶあり、城墟より水路を通ず、地の東に平坦の地有、諸士居住の所といふ」とあり、「高田郡村々覚書」には「高サ壱丁余、東西六間、南北三拾五間」と記す。石見阿須那(あすな)(現島根県邑智郡羽須美村)の藤掛(ふじかけ)城に本拠を置いた高橋氏の一族高橋弾正盛光の居城であったが、盛光が藤掛城主大九郎興光を滅ぼしたのを口実に、天文五年(一五三六)三月一七日毛利元就は盛光を殺し、その領地を占領した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by