日本歴史地名大系 「生田村」の解説
生田村
おいたむら
- 京都市:右京区
- 生田村
北は上嵯峨、西は有栖川を境に下嵯峨、南は
享保五年(一七二〇)の村明細帳に、古検高は二三四石五斗三升四合、うち天龍寺領一八〇石五斗九合、阿野家領九石三斗五升五合、八幡公文領二石三斗、残り四二石三斗七升が代官所支配で、この石高は幕末まで変化はない。家数は高持一六軒、水呑六軒、人口は男五四人、女六〇人の計一一四人、それに牛一二匹とある。当村は元禄八年(一六九五)から
生田村
いけだむら
高田郡西北端に位置し、北は石見国、東は川根村(現高宮町)、西は山県郡の村々に接する。村内東方に
中世は長講堂領
生田村
いくたむら
生田村
いくたむら
生田村
いくたむら
生田村
しようだむら
- 愛知県:岡崎市
- 生田村
矢作川支流の
「三河国名勝志」「三河国二葉松」によれば、中世に足利氏の末流荘田氏の一族が住み、その子孫荘田安守が松平七代清康に出仕したと伝える。また「三河堤」に生田村古城跡として酒井雅楽頭一族の酒井彦四郎・石川又四郎・生田六左衛門の出生地と記す。土豪生田四郎兵衛が建暦元年(一二一一)熊野権現を勧請したのが旧村社
生田村
いくたむら
生田村
あしうだむら
吾妻川右岸にあり、東は
生田村
いくたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報