高波村(読み)こうなみむら

日本歴史地名大系 「高波村」の解説

高波村
こうなみむら

[現在地名]珠洲市三崎町高波みさきまちこうなみ

ほん村の東方、の川の河口部北岸に立地する。元和三年(一六一七)の新開とされ、正保郷帳の記載から北の引砂ひきすな村からの分村と考えられる。同帳に高波新村とあり、高一一六石余、田六町九反余・畑七反余。別に引砂村の貼紙分に引砂村・高波新村として新開高一七三石余とある。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高一二二石、免三ツ六歩、小物成は山役六匁、猟船櫂役五匁(退転)・地国并他国入猟役二七匁(出来)であった(三箇国高物成帳)。天保郷帳では引砂村の内と考えられる。正徳四年(一七一四)越前鮎川あゆかわ(現福井市)の沖船頭六助の船が大雨で展望がきかず、当村の磯近くの岩場で破損、在所役人の手配で人足が難船荷を陸に運んだが、その荷は越後柏崎かしわざき(現新潟県柏崎市)の蔵米二三八俵など米三五〇俵であった(「浦手形」浜野文書)


高波村
たかなみむら

[現在地名]明智町東方ひがしかた 高波

高波川上流にあり、北は小杉おすぎ村に接する。慶長郷帳に「高なミ村」とあり、高一三六石余。正保郷帳では田方九三石余・畑方四二石余。明治二年(一八六九)村明細帳によれば、高一六四石余、田八町九反余・畑五町八反余、家数五四、人数男一二八・女一一八、馬一二、農間に男は炭を焼き、女は莚を織る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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