日本歴史地名大系 「東方村」の解説
東方村
ひがしかたむら
- 宮崎県:小林市
- 東方村
東方村
ひがしがたむら
- 埼玉県:深谷市
- 東方村
東方村
ひがしかたむら
- 三重県:桑名市
- 東方村
現桑名市街地の西部丘陵地およびその山麓一帯にあり、
東方村
ひがしかたむら
- 埼玉県:越谷市
- 東方村
西方村の東、元荒川の右岸に位置する。集落は元荒川の自然堤防と旧利根川の乱流路によって形成された半円形の発達した自然堤防上に集中する。当地には野与党の一族大相模次郎能高の後裔といわれる中村氏がいた(「中村家系図」中村家文書)。その館跡は宅地の造成によりわずかに構堀の一部を残すだけで今はわからなくなっているが、館跡からは文和三年(一三五四)在銘の六字名号板碑をはじめ、貞治六年(一三六七)・応永二〇年(一四一三)・同二九年・寛正四年(一四六三)・享禄三年(一五三〇)在銘など数多くの板碑が発見されている。このほか当地では天文二二年(一五五三)在銘の弥陀三尊図像板碑なども発見されている。
東方村
ひがしがたむら
東方村
ひがしかたむら
東方村
ひがしかたむら
現
東方村
ひがしがたむら
東方村
ひがしかたむら
現在の多良木町の東部、
東方村
ひがしかたむら
東方村
ひがしがたむら
松山平野の南平坦部に位置する農村。東は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報