日本歴史地名大系 「鬼死骸村」の解説 鬼死骸村おにしがいむら 岩手県:一関市鬼死骸村[現在地名]一関市真柴(ましば)・南町(みなみまち)・千代田町(ちよだちよう)・台町(だいまち)一関村の南にあり、磐井(いわい)川支流吸(すい)川とその支流新山(にいやま)川が北東へ流れる。南の有壁(ありかべ)村(現宮城県栗原郡金成町)から奥州街道が北へ通り、牧田(まきた)橋傍らに一里塚がある。村名は坂上田村麻呂東征の際、敵将大武丸を討取り、その死骸を当地に埋めたことにちなむとされる。埋葬場所は字佐野(さの)の鹿島神社の鬼石(おにいし)(高さ五尺・周囲三丈余)の下と伝える(安永風土記)。慶長六年(一六〇一)の留守政景知行目録写(留守文書)にみえる「大しかい」三八貫五七四文は当地をさすか。寛永一八年(一六四一)の鬼死骸村検地帳(県立図書館蔵)では田四五町七反余・代五八貫四三八文、畑一七町九反余・代五貫五九八文、名請人三四。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by