要害城跡(読み)ようがいじようあと

日本歴史地名大系 「要害城跡」の解説

要害城跡
ようがいじようあと

[現在地名]甲府市上積翠寺町

武田氏(躑躅が崎)館の詰城として築かれた戦国期の山城要害山ようがいさん城・積翠寺せきすいじ城・要害山・積翠寺のまる山・積翠寺の要害など多くの異称がある。甲府盆地中央北側のあい川扇状地扇頂部の要害山に位置し、標高七七五メートル、比高二五〇メートルを測る。麓からは独立峰状にみえるが、背後の山地から西に向かって尾根が馬の背状に延び、南東と北は急崖の峡谷に臨んでいるため、防御上絶好の占地となっている。また要害本城の南東のやせ尾根上にはくま城とよばれる支城が存在し、両者併せて国指定史跡。

築城は武田氏館造営の翌年永正一七年(一五二〇)で、「高白斎記」同年六月晦日条に「積翠寺丸山ヲ御城ニ被取立、普請初ル」とみえる。城主には大永元年(一五二一)駒井昌頼が命じられている(同書同年八月一〇日条)。同年駿河福島氏の軍勢が甲府盆地内に侵入、一〇月から一一月に飯田いいだ河原などで合戦があった。このとき武田信虎室大井夫人は当城に避難しており、一一月三日晴信を生んでいる。


要害城跡
ようがいじようあと

[現在地名]日立市国分町一丁目 要害

桜川の川口左岸の断崖上にある三連郭の平城で、孫沢権太夫の居城と伝える。孫沢氏は初め対岸の孫沢角まごさわかどに館を構えたが、永禄五年(一五六二)佐竹領に侵攻した相馬軍によって落ち、再建に際して当地を卜したとされる。「新編常陸国誌」に「本丸東西三十間、南北五十間、二ノ丸南北六十五間、東西四十間、北ノ郭東西三十五間、南北二十間アリ、二重ノ堀アリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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