日本歴史地名大系 「要害城跡」の解説
要害城跡
ようがいじようあと
武田氏(躑躅が崎)館の詰城として築かれた戦国期の山城。
築城は武田氏館造営の翌年永正一七年(一五二〇)で、「高白斎記」同年六月晦日条に「積翠寺丸山ヲ御城ニ被取立、普請初ル」とみえる。城主には大永元年(一五二一)駒井昌頼が命じられている(同書同年八月一〇日条)。同年駿河福島氏の軍勢が甲府盆地内に侵入、一〇月から一一月に
要害城跡
ようがいじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報