デジタル大辞泉
「一関市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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一関市
いちのせきし
面積:四〇七・五二平方キロ
県南西端に位置し、西端に栗駒山(一六二七・七メートル)がそびえる。南流する北上川流域と、栗駒山に源を発して東流する北上川支流磐井川流域にある。東部は北上高地南西端、北部は北上盆地南端を占め、南部・西部は奥羽山脈の支脈磐井丘陵。耕地と集落は磐井川とその支流沿いにあり、北上・磐井両川合流点に近い市域東方が市街地となっている。合流点北西低地には水田が広がる。北は西磐井郡平泉町、胆沢郡衣川村・胆沢町、東は東磐井郡東山町・川崎村、南は西磐井郡花泉町・宮城県栗原郡金成町、西は秋田県雄勝郡東成瀬村。東部を南北にJR東北本線・東北新幹線、国道四号・東北自動車道が貫き、東西に国道二八四号・同三四二号が走る。東北本線一ノ関駅からは東にJR大船渡線が分れる。西部栗駒山一帯は栗駒国定公園に含まれる。宮城・秋田両県にまたがる栗駒山は、岩手県側では須川岳とよぶ複式成層火山。北方の剣岳はその中央火口丘にあたり、北山裾には須川温泉が湧出、名残ヶ原などが広がる。昭和一九年(一九四四)のガス爆発により、剣岳と栗駒山との間に昭和湖が出現した。市域はかつて磐井郡に属した。
〔原始〕
旧石器時代の遺跡は磐井川上流部厳美町祭畤、中流部の同町山谷、北上川支流滝沢川流域の滝沢水口など四ヵ所で確認されている。縄文時代の遺跡は磐井川沿いに集中。なかでも晩期の遺跡が多く上流部のほうがやや時代がさかのぼるとみられる。厳美町山谷の庄司合遺跡は縄文時代前期―後期の遺跡で、検出された配石遺構のうちには県内では最も古い時期のものと推定できるものもある。晩期の遺跡では良好な遺物が出土した真柴宮沢遺跡がある。弥生時代の遺跡は前時代に比して数少ない。そのうち磐井川南岸萩荘の谷起島遺跡は、弥生時代前期の谷起島式土器の標準遺跡であり、北上川南岸の狐禅寺草ヶ沢遺跡とともに縄文時代最終末の大洞A′式との連続を示す例である。古墳時代については出土遺物のみで遺跡は確認されていない。平安時代の遺跡では竪穴住居跡を検出した萩荘下モ下釜遺跡と真柴上の前遺跡がある。
〔古代・中世〕
「延喜式」神名帳に記載される磐井郡二座「配志和神社」「
草神社」はいずれも市域に比定される。現在配志和神社は山目、舞草神社は舞川にあり、北上川を挟んで東西に対峙している。舞草神社は起源を古代にさかのぼるとされる舞草鍛冶とかかわりの深い社と伝える。「和名抄」の磐井郡七郷のうち磐井郷は磐井川南岸、現在の萩荘地区、駅家郷は同地区から磐井川北岸赤荻にかけての一帯、磐本郷も市域に比定されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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一関〔市〕
いちのせき
岩手県南端,北上川とその支流域に広がる市。北上盆地南端に位置し,西部には栗駒山など奥羽山脈の山々が連なり,東部には北上高地の丘陵地が続く。宮城県北部にまたがる地域の経済,文化,教育の中核都市。南部は広く宮城県に接し,西で秋田県と接する。1948年一関町,山目町の 2町と中里村,真滝村の 2村が合体して市制。1955年萩荘村,厳美村,弥栄村,舞川村の 4村と合体。2005年花泉町,大東町,千厩町,東山町,室根村,川崎村の 6町村と合体。2011年藤沢町を編入。市名は磐井川に設けられた堰にちなむ。古くは安倍氏,藤原氏,葛西氏の支配地。慶長12(1607)年に伊達氏の領地となり,天和2(1682)年以降田村氏 3万石の城下町,奥州街道の宿場町として発展。1890年の東北本線開通以前は,盛岡から石巻までの北上川水運の中継地として栄えた。中南部の工業団地を中心に,電気,機械,金属工業などが行なわれる。農業では,米作を基幹とした畜産,野菜栽培などとの複合経営が行なわれている。涌津八幡神社に残る鉄五輪塔地輪は国の重要文化財,室根神社祭のマツリバ行事は国の重要無形民俗文化財,骨寺村荘園遺跡は国の史跡に指定。北上川支流の砂鉄川両岸に形成された猊鼻溪は国の名勝,磐井川中流の厳美溪は国の名勝および天然記念物に指定される景勝地。西部の栗駒山麓は栗駒国定公園に,東部の室根山一帯は室根高原県立自然公園に属する。東北新幹線,JR東北本線,大船渡線が一ノ関駅で交差。東北自動車道,国道4号線,284号線,342号線,343号線,456号線,457号線が通る交通の要衝。面積 1256.42km2。人口 11万1932(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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