魚見岳台場跡(読み)うおみだけだいばあと

日本歴史地名大系 「魚見岳台場跡」の解説

魚見岳台場跡
うおみだけだいばあと

[現在地名]長崎市戸町三丁目

江戸時代、戸町とまち村の大久保おおくぼ山に置かれた台場。国指定史跡。承応二年(一六五三)石火矢台の検分があり、大村領「めかみ崎」など七ヵ所に明暦元年(一六五五)平戸藩により築造が行われた(華蛮交易明細記・崎陽群談)。享和二年(一八〇二)の長崎絵図に女神(尾上は対岸の西泊村内)の東手に「二番 石火矢台」、同じく西のくら村寄りに「四番 石火矢台」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「魚見岳台場跡」の解説

うおみだけだいばあと【魚見岳台場跡】


⇒長崎台場跡-魚見岳台場跡(ながさきだいばあと うおみだけだいばあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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