魚見岳台場跡(読み)うおみだけだいばあと

日本歴史地名大系 「魚見岳台場跡」の解説

魚見岳台場跡
うおみだけだいばあと

[現在地名]長崎市戸町三丁目

江戸時代、戸町とまち村の大久保おおくぼ山に置かれた台場。国指定史跡。承応二年(一六五三)石火矢台の検分があり、大村領「めかみ崎」など七ヵ所に明暦元年(一六五五)平戸藩により築造が行われた(華蛮交易明細記・崎陽群談)。享和二年(一八〇二)の長崎絵図に女神(尾上は対岸の西泊村内)の東手に「二番 石火矢台」、同じく西のくら村寄りに「四番 石火矢台」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「魚見岳台場跡」の解説

うおみだけだいばあと【魚見岳台場跡】


⇒長崎台場跡-魚見岳台場跡(ながさきだいばあと うおみだけだいばあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む