日本歴史地名大系 「鮎屋村」の解説 鮎屋村あいやむら 兵庫県:洲本市鮎屋村[現在地名]洲本市鮎屋前平(まえひら)村の南西、ほぼ北西流する洲本川支流鮎屋川の上流域にある。三原(みはら)郡に属し、東は津名(つな)郡千草(ちくさ)村。「味地草」によると、文明年間(一四六九―八七)の開村であるという。正保国絵図には鮎屋村とあり、高二九六石余。天保郷帳では高三六六石余。反別戸数取調書では中筋組、「堅磐草」では金屋組に属するとある。反別戸数取調書によれば反別三六町三反余、高四一六石余、うち蔵入高五八石余、給人は池田登ら六名。ほかに八幡宮領一斗余があった。家数八五・人数四一五。天明二年(一七八二)の縄騒動には当村民も加わっている(「縄納入を拒否蜂起の記録一件」新見貫次氏収集文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by