鯉鮓城跡(読み)こいさくじようあと

日本歴史地名大系 「鯉鮓城跡」の解説

鯉鮓城跡
こいさくじようあと

[現在地名]南関町相谷

標高三一九メートルの二城にじよう山にある戦国期の山城五位の巣ごいのす城ともいう。「古城考」は臼間野宗郷が築城の途中で領域問題から大津山資冬の反対にあって工事を中止したといい、「南関志略」には天文年中(一五三二―五五)に小原鑑元が築城半ばで滅亡したとあり、ともに未完成の城であるとする。しかし、遺構からは縄張りの完成を推測させる。山頂部分は東西主軸を呈するひょうたん形の平坦地を形成し、中央部分の低地によって二分される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 ごい

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む