鳥養西之村(読み)とりかいにしのむら

日本歴史地名大系 「鳥養西之村」の解説

鳥養西之村
とりかいにしのむら

[現在地名]摂津市鳥飼西とりかいにし一―五丁目・鳥飼西・鳥飼下とりかいしも三丁目・鳥飼野々とりかいのの一丁目・鳥飼八防とりかいはちぼう一―二丁目・鳥飼和道とりかいわどう一―二丁目・東一津屋ひがしひとつやなど

鳥養野々とりかいのの村の南にあり、鳥養郷七ヵ村の一。西は鳥養郷の囲堤であるうげふせ縄手で一津屋村に接し、南は淀川。鳥養郷囲堤のうちにさらに大池おおいけ縄手で仕切られたなかに鳥養八坊とりかいはちぼう村とともに位置。ただし、村領の一部は藤森ふじのもり神社の社地を含めて大池縄手の外にもある。淀川堤上を大坂街道が通り、これに沿って集落を形成。室町時代は赤松貞村の知行であった鳥養西村にあたると思われる(→鳥養牧

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む