鳥養牧(読み)とりかいのまき

百科事典マイペディアの解説

鳥養牧【とりかいのまき】

摂津国島下(しましも)郡の安威(あい)川下流と淀川との間の沖積地にあった右馬(め)寮所属の大阪府摂津市域にあたる。鳥飼とも書いた。《延喜式》にみえ,京都の近くに所在した近都(きんと)牧6ヵ所の一。これらの牧では諸国から進された馬牛を飼育,諸節会(せちえ)および行幸(ぎょうこう)などの際に必要に応じて牧馬を送った。当牧には別業(なりどころ)地があって〈鳥飼院〉が営まれ,宇多法皇が遊行している(《大和物語》)。また淀川の港津もあり,935年土佐から帰洛途中紀貫之(つらゆき)一行は〈とりかひのみまきといふほとり〉に停泊している(《土佐日記》)。その後も藤原頼通(よりみち)が2度にわたって立寄ったことが記録されている。12世紀までは続いていた鳥養牧は,その後耕地化が進んで所領化されたらしく,左馬寮領の荘園となり,鎌倉時代には西園寺(さいおんじ)家が所務(しょむ)職を管掌していたと推定される。室町時代には同じ西園寺家流の洞院(とういん)家と今出川菊亭(いまでがわきくてい)家との間で所務職(あるいは領主職)をめぐって係争があり,今出川菊亭家の管轄に落着している。鳥養牧には〈猿楽(さるがく)座〉が結成されていた。1395年には山城醍醐寺清滝(きよたき)宮で上演,その後水難で座衆が分散したが,1412年に再興されて宿願東寺(教王護国寺)八幡宮神事出演を認められた。1418年には山城伏見の御香宮(ごこうぐう)で上演,1441年には東寺八幡宮の楽頭(がくとう)職に任じられて法楽猿楽を興行している。

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世界大百科事典 第2版の解説

とりかいのまき【鳥養牧】

摂津国島下郡(現,大阪府摂津市)の牧。平安時代左右馬寮が経営した近都六牧の一つ。淀川下流にあり右馬寮に属した。近都牧は諸国から貢上されてきた馬牛を,必要に応じて京につれてくるため一時的に放牧しておく都近の牧である。935年(承平5)紀貫之が土佐国より帰国の途中,鳥養牧の近くに宿泊し,また1048年(永承3)関白藤原頼通の高野詣帰路,同牧の辺に到着したことなどが知られる。近都牧は時代とともに衰退し,同牧も早く牧としての実体を失ったと考えられる。

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