高槻藩(読み)たかつきはん

改訂新版 世界大百科事典 「高槻藩」の意味・わかりやすい解説

高槻藩 (たかつきはん)

摂津国芥川郡高槻城(現,大阪府高槻市)に藩庁をおいた譜代小藩。1615年(元和1)以後内藤信正土岐定義松平家信,岡部宣勝松平康信が交代して藩主となり,49年(慶安2)永井直清山城長岡の勝竜寺城から入部,芥川郡(後の嶋上郡),嶋下郡やその他の飛地合計3万6000石を領し,幕末まで定着した。京都,大坂の中間地高槻の藩主に譜代大名をあてたのみならず,直清と兄の京都寄りの淀城主永井尚政と所司代の3人が,参勤交代で一斉に畿内を離れないよう配慮され,幕府畿内支配のための要職(大坂城代代行,禁裏造営奉行)などに直清があてられたことからも,幕府の高槻藩主重視が認められる。永井氏入部後,城南湿地の排水井路を造らせて農地拡大を図ったりしたが,水田地帯で寒天製作など若干を除いては特産物がないため財政は苦しく,18世紀以降領内庄屋に賄銀用立てを命じたり,また米販売先の伊丹酒造家に借銀をし,天領より高免の年貢収取をした。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高槻藩」の意味・わかりやすい解説

高槻藩
たかつきはん

摂津(せっつ)国高槻(大阪府高槻市)周辺を領有した藩。京、大坂の中間に位置する要地であるため、1615年(元和1)大坂夏の陣後、内藤信正(のぶまさ)が近江(おうみ)国(滋賀県)長浜から4万石で入封して以来、2万石ないし5万石余で譜代(ふだい)大名が頻繁に交代した。すなわち、1617年内藤信正が伏見(ふしみ)城代に転出したあとに土岐(とき)定義(2万石)、19年松平(形原(かたのはら))家信(2万石)、35年(寛永12)岡部宣勝(のぶかつ)(5万1000石余)、40年松平(形原)康信(3万6000石)と続き、49年(慶安2)永井直清(なおきよ)が山城(やましろ)国(京都府)長岡から3万6000石で入封。直時、直種、直達(なおたつ)、直英、直期(なおざね)、直行、直珍(なおよし)、直進(なおのぶ)、直与(なおとも)、直輝、直矢(なおつら)、直諒(なおまさ)の13代にわたって在封した。高槻城は内藤信正時代に築かれたが、永井直清のとき城下町が整備された。10代直与は藩校菁莪(せいが)堂を開設して学問を勧め、森儼塾(げんじゅく)、藤井竹外(ちくがい)、高階(たかしな)春帆らが輩出している。1871年(明治4)廃藩後、高槻県を経て大阪府に編入された。

[藤本 篤]

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藩名・旧国名がわかる事典 「高槻藩」の解説

たかつきはん【高槻藩】

江戸時代摂津(せっつ)国芥川(あくたがわ)郡高槻(現、大阪府高槻市)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は菁莪堂(せいがどう)(のち文武館)。大坂の陣後の1615年(元和(げんな)1)に、譜代の内藤信正(のぶまさ)が近江(おうみ)国長浜から4万石で入り立藩した。以後、この地が京と大坂を結ぶ要衝を占めることから、土岐定義(ときさだよし)以下2代、松平(形原(かたのはら))家信(いえのぶ)、岡部宣勝(のぶかつ)、松平(形原)康信(やすのぶ)と、譜代藩主が2万石~5万石で頻繁に交替した。49年(慶安2)に山城(やましろ)国長岡藩から永井直清(なおきよ)が3万6000石で入って藩主が定着、以後明治維新まで永井氏が13代続いた。1871年(明治4)の廃藩置県により、高槻県を経て大阪府に編入された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高槻藩」の意味・わかりやすい解説

高槻藩
たかつきはん

江戸時代,摂津国高槻地方 (大阪府) を領有した藩。最初の藩主新庄直頼が慶長5 (1600) 年に関ヶ原の戦いにより除封され,次いで元和1 (15) 年から内藤氏4万石,同3年から土岐氏2万石,同5年から松平 (形原) 氏2万石,寛永 13 (36) 年から岡部氏5万石,同 17年から松平 (形原) 氏3万 6000石がそれぞれ入封,慶安2 (49) 年に永井直清が山城 (京都府) 長岡から3万 6000石で入封して以来,代々継続して廃藩置県にいたった。永井氏は譜代,江戸城雁間詰。

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百科事典マイペディア 「高槻藩」の意味・わかりやすい解説

高槻藩【たかつきはん】

摂津(せっつ)国高槻に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩主は内藤氏・土岐氏・松平氏・岡部氏・松平氏,1649年からは永井氏が領知高3万6000石で在封。淀(よど)藩と京都所司代とともに畿内支配の責を担った。
→関連項目摂津国

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デジタル大辞泉プラス 「高槻藩」の解説

高槻藩

摂津国、高槻地方(現:大阪府高槻市)を領有した藩。大阪の陣の後、内藤信正が4万石で入封して立藩。以後の藩主に、岡部氏、永井氏など。永井氏10代直与が設置した藩校・菁莪堂(せいがどう)は、藤井竹外、高階春帆といった優れた詩人を輩出している。

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