京都先斗(ぽんと)町の芸妓(げいぎ)による舞踊会。祇園(ぎおん)の「都(みやこ)をどり」に対するもので、同じ1872年(明治5)に先斗町歌舞練場で始められ、観光行事の一つになっている。太平洋戦争中は中断されたが、毎年4月、10月に各20日間余行われてきた。京都の篠塚(しのづか)流が振付けにあたってきたが、1927年(昭和2)から東京の2世若柳(わかやぎ)吉蔵にかわり、同吉朗とともに携わってきた初世尾上菊之丞(おのえきくのじょう)がのちに担当。彼の没後、65年から81年まで6世藤間勘十郎と2世菊之丞が行い、のち尾上流のみが受け持ち、今日に至っている。73年以後は5月、10月に各24日間ずつ行われていたが、99年(平成11)からは5月だけの24日間となった。
[如月青子]