都踊(読み)ミヤコオドリ

デジタル大辞泉 「都踊」の意味・読み・例文・類語

みやこ‐おどり〔‐をどり〕【都踊(り)/都をどり】

京都祇園ぎおん歌舞練場で毎年4月1日から30日まで催される、祇園芸妓げいぎ踊り。明治5年(1872)に始まる。 春》「出を待てる―のがのぞく/素逝」

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「都踊」の意味・読み・例文・類語

みやこ‐おどり‥をどり【都踊】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 京都の踊り。都風舞踊
    1. [初出の実例]「見せたいものは都おどりのぬき拍子」(出典:浄瑠璃・平家女護島(1719)一)
  3. 京都祇園の芸妓の舞踊。毎年四月一日から三〇日まで、祇園甲部歌舞練場で開催される。井上流の振り付けで行なわれる。《 季語・春 》

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「都踊」の意味・わかりやすい解説

都をどり (みやこおどり)

花街舞踊。1872年(明治5)3世井上八千代が創始した。京都祇園町の舞妓,芸妓連中による観光舞踊で,現在は4月から5月にかけて催される。芸妓の別踊をはさんだ舞妓の総踊を中心に約1時間の番組を1日に5回上演しており,他の花街舞踊に比べ,観光客を対象にきわめて興行化されている。内容は京都の四季おりおりの風趣を品よくまとめており,4世井上八千代の振付指導によって,京舞らしい華やかさと格調のあふれたところに特色がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「都踊」の意味・わかりやすい解説

都をどり【みやこおどり】

4月1日〜5月10日,京都市祇園歌舞練場で行われる芸妓の舞踊。1872年の博覧会のときに始まり,井上流京舞基本に振付指導されたもので,東京の東(あずま)をどりとともに舞踊界の年中行事となっている。
→関連項目蘆辺踊井上八千代

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「都踊」の解説

都踊
みやこおどり

歌舞伎浄瑠璃外題
初演
明治36.4(京都・歌舞伎座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の都踊の言及

【井上八千代】より

…地歌(じうた),義太夫物のほか,長唄,清元,常磐津物も加え,井上流を大きく発展させた。長年,祇園の舞の師匠として活躍し,1872年(明治5)〈都をどり〉を創始した。(4)4世(1905(明治38)‐ )京都生れ。…

【井上流】より

…2世,3世と,金剛流,観世流の能の影響を受けたが,歌舞伎や人形浄瑠璃の長所も取り入れ,〈人形振り〉の型を井上流のものにした。3世の時代に祇園町の舞の師匠となり,1872年(明治5)〈都をどり〉を起こした。品位の高さ,芸格のたくましさが特徴といえる。…

【歌舞練場】より

…京都の花街にある芸妓,舞妓のための歌舞音曲の練習場であり,その発表のための会場である。1872年(明治5),京都博覧会の協賛の余興として行われた〈都をどり〉が大好評であったので,翌73年,四条花見小路下ル西側に祇園甲部花街が歌舞練場を設け,以後継続的に毎年4月〈都をどり〉を開催するようになった。1913年には東側に,35年に現在の東山区祇園町南側570に移った。…

【祇園】より

…祇園豆腐や祇園香煎(こうせん)などの名物も生まれ,〈一力茶屋(いちりきぢやや)〉として《仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゆうしんぐら)》に登場して人口に膾炙(かいしや)した〈万亭(まんてい)〉のような茶屋もある。明治になって祇園は甲部と乙部に分かれ,膳所裏(せぜうら)と呼ぶ一区域を除いた祇園甲部は,日本で最も格式の高い花街とされ,その温習会である〈都をどり〉は陽春の京都の景物となっている。舞妓という呼称も祇園だけのものと錯覚されるほどであるが,そうした憧憬のごとき感覚の形成にとって,吉井勇の歌集《酒ほがひ》や長田幹彦の小説《祇園夜話》や歌謡曲《祇園小唄》の果たした役割も忘れることができない。…

※「都踊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android