鵜崎多一(読み)ウザキ タイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「鵜崎多一」の解説

鵜崎 多一
ウザキ タイチ


肩書
福岡知事

生年月日
明治38年3月4日

出生地
京都市

学歴
東京帝国大学農学部農業経済学科〔昭和3年〕卒

経歴
農林省に入り、企画院、興亜院各調査官、福岡地方経済安定局次長、福岡県知事室長などを歴任。昭和34年福岡知事選に全国ただ一人の社会党公認知事として当選、60年安保闘争、福岡では三井三池闘争のさ中の革新県政を担った。38年再選され、福祉対策に力投、産炭地問題、失業対策では大衆運動先頭に立った。42年落選。

没年月日
昭和46年9月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「鵜崎多一」の解説

鵜崎 多一
ウザキ タイチ

昭和期の政治家 福岡県知事。



生年
明治38(1905)年3月4日

没年
昭和46(1971)年9月11日

出生地
京都市

学歴〔年〕
東京帝国大学農学部農業経済学科〔昭和3年〕卒

経歴
農林省に入り、企画院、興亜院各調査官、福岡地方経済安定局次長、福岡県知事室長などを歴任。昭和34年福岡知事選に全国ただ一人の社会党公認知事として当選、60年安保闘争、福岡では三井三池闘争のさ中の革新県政を担った。38年再選され、福祉対策に力投、産炭地問題、失業対策では大衆運動の先頭に立った。42年落選。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鵜崎多一」の解説

鵜崎多一 うざき-たいち

1905-1971 昭和時代後期の政治家。
明治38年3月4日生まれ。鵜崎庚午郎(こうごろう)の4男。昭和3年東京帝大卒業。農林省にはいる。福岡県知事室長などをへて,34年福岡県知事に当選(連続2期)。社会党公認の全国唯一の知事として,炭鉱離職者の救済など福祉対策に力をいれた。昭和46年9月11日死去。66歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android