鵜飼屋(読み)うかいや

日本歴史地名大系 「鵜飼屋」の解説

鵜飼屋
うかいや

[現在地名]岐阜市長良 鵜飼屋

江戸時代の上福光かみふくみつ村の内、長良川岸の鵜匠の居住する地域にあたり、上中下に分れる。鵜飼による漁業の本拠地で、上福光村は鵜飼舟を一〇艘ほど、真福寺しんぷくじ村は五艘有した(明暦覚書)。「濃州徇行記」や山下文書によれば、長良鵜飼は慶長年中(一五九六―一六一五)からは鵜匠一二人であったが、元禄年中(一六八八―一七〇四)に二人増えたものの以後年中困窮し、宝永四年(一七〇七)舟七艘の減少をみて残り七艘、鵜匠一四人となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む