鶴崎城跡(読み)つるさきじようあと

日本歴史地名大系 「鶴崎城跡」の解説

鶴崎城跡
つるさきじようあと

[現在地名]大分市東鶴崎三丁目・南鶴崎三丁目

大野川と乙津おとづ川に挟まれた地域にある中世の城跡。「大友家文書録」の豊薩合戦記に大友庶流吉岡宗歓の後家妙林尼の守った城とみえ琵琶の頸という所に堀を掘り、築地を構えて守りを固めたという。「歴代鎮西要略」によると、天正一四年(一五八六)一二月島津の部将伊集院美作守・野村備中守・白浜周防守らが攻め、妙林尼は高田郷士を集めて塁を構え、柵を設けて防戦した。接戦数回後和を結び伊集院らは塁に入った。翌一五年島津軍は豊臣秀吉の九州入りを機に撤退を始めるが、妙林尼は乙津川辺に兵を伏せ撤退する伊集院らを追撃して、伊集院・白浜を討取り、野村に重傷を負わせたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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