平安時代に設けられた院倉に由来すると推定される中世の院名。現在の伊集院町・
建久四年(一一九三)の薩摩国諸郡注文(宮之城記)に「伊集院 清藤名」とみえる。薩摩国建久図田帳には「伊集院百八十町」とみえ、内訳は
紀姓伊集院氏は伊集院院司あるいは伊集院郡司とみえ、院名を名字として、平安時代以来当地に蟠踞していたと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鹿児島県西部、日置郡(ひおきぐん)にあった旧町名(伊集院町(ちょう))。現在は日置市の北東部を占める。旧伊集院町は1922年(大正11)町制施行。町名は律令(りつりょう)時代の倉院の名が地名化したもの。1956年(昭和31)下伊集院村の一部を編入。2005年(平成17)東市来(ひがしいちき)町、日吉(ひよし)町、吹上(ふきあげ)町と合併、市制施行して日置市となった。旧伊集院町は薩摩半島(さつまはんとう)北部に位置し、東シナ海に注ぐ神之川(かみのかわ)中流にある小盆地で、周囲はシラス台地。中世、島津忠経(ただつね)が地頭となり、以来その子孫が伊集院氏を称し、一宇治城(いちうじじょう)を拠点とした。のち島津氏の直轄領となり、麓(ふもと)(外城(とじょう))が置かれた。明治以降、郡役所の所在地となり、現在も官公庁の出先機関が多い。交通の便がよく、鹿児島市に近いことからベッドタウン化が進展している。JR鹿児島本線が通り、枕崎(まくらざき)へのバスが発着する。鹿児島三大行事の一つである妙円寺詣り(みょうえんじまいり)は、関ヶ原の戦いでの島津軍の奮戦の故事にちなみ毎年10月第4土・日に島津義弘(よしひろ)を祀(まつ)る徳重神社(とくしげじんじゃ)で行われ、参拝客でにぎわう。
[平岡昭利]
『『伊集院郷土史』(1976・伊集院町)』
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