伊集院(読み)いじゅういん

精選版 日本国語大辞典 「伊集院」の意味・読み・例文・類語

いじゅういんイジフヰン【伊集院】

  1. 鹿児島県日置(ひおき)市の地名。薩摩半島基部にある。室町末期、島津氏直轄地となり、宿場町として発展。妙円寺詣りで有名な徳重神社がある。

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日本歴史地名大系 「伊集院」の解説

伊集院
いじゆういん

平安時代に設けられた院倉に由来すると推定される中世の院名。現在の伊集院町・松元まつもと町一帯と、東市来ひがしいちき町・日吉ひよし町・郡山こおりやま町の一部に比定される。神之かみの川・長松ちようまつ川・下谷口しもたにぐち川およびそれぞれの支流が流れる山間の谷筋に沿って田畑が散在しており、鎌倉時代末までは紀姓伊集院氏をはじめとした在地領主が錯綜した支配を展開した。薩摩半島の中央部の交通の要衝にあったので、南北朝期以降には当地をめぐって争奪戦が展開された。

〔鎌倉時代〕

建久四年(一一九三)の薩摩国諸郡注文(宮之城記)に「伊集院 清藤名」とみえる。薩摩国建久図田帳には「伊集院百八十町」とみえ、内訳は上神殿かみこうどの一八町・下神殿一六町・桑羽田くわはた五町・野田のだ六町・大田おおた一五町・寺脇てらわき八町・時吉ときよし二五町・末永すえなが二五町・続飯田つづんだ八町・土橋つちばし一三町・河俣かわまた一〇町・谷口たにぐち一四町・十万じゆうまん六町・飯牟礼いいむれ三町、松本まつもと一八町(喜入肝付家本では八町)。これは当時存在した伊集院内の名田を網羅的に記載したものと考えられている(寺脇の一部が東市来町、時吉が東市来町と日吉町、谷口の一部が松元町、松本が松元町に比定されるほかは伊集院町に所在したとみられる)。このうち上神殿・下神殿・桑羽田・野田・大田・寺脇・飯牟礼・松本の七九町は大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)の万得領であった。万得領は一一世紀以降正八幡宮の勢力後退によって一部は島津庄に編入され、一部は一二世紀になって新たに薩摩国の一宮になる新田八幡宮の所領となったとされる。建久図田帳当時、伊集院のうちでは野田・大田・寺脇の三ヵ所が島津庄と相論中であった。万得領は元来国衙によって形成されたことから、大田・寺脇・時吉の名主は在庁官人の大前道友で、末永は伊集院院司清景(紀姓伊集院氏)、土橋も同族の紀四郎時綱、十万も同様に紀平二元信が名主であった。ほかは続飯田が名主権太郎兼直(姓不詳)、谷口は没官領で、地頭右衛門兵衛尉(島津忠久)領であった。つまりこの時点では正八幡宮領と大前氏・紀姓伊集院氏・島津氏がそれぞれ一部を領有していた。なお鎌倉後期のものと推定される薩摩伊集院分造宇佐宮用途支配注文(島津家文書)には、上神殿・下神殿・用吉・桑波田(桑羽田)用丸もちまる清藤きよふじ・十万・野田・秋永あきなが・大田・寺脇・得重とくしげの一二ヵ所がみえる。後欠のためその他の地名は不明だが、伊集院全体で豊前宇佐宮造営のために六〇〇疋と人夫食料米一三石が賦課されていた。

紀姓伊集院氏は伊集院院司あるいは伊集院郡司とみえ、院名を名字として、平安時代以来当地に蟠踞していたと思われる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊集院」の意味・わかりやすい解説

伊集院
いじゅういん

鹿児島県西部、日置郡(ひおきぐん)にあった旧町名(伊集院町(ちょう))。現在は日置市の北東部を占める。旧伊集院町は1922年(大正11)町制施行。町名は律令(りつりょう)時代の倉院の名が地名化したもの。1956年(昭和31)下伊集院村の一部を編入。2005年(平成17)東市来(ひがしいちき)町、日吉(ひよし)町、吹上(ふきあげ)町と合併、市制施行して日置市となった。旧伊集院町は薩摩半島(さつまはんとう)北部に位置し、東シナ海に注ぐ神之川(かみのかわ)中流にある小盆地で、周囲はシラス台地。中世、島津忠経(ただつね)が地頭となり、以来その子孫が伊集院氏を称し、一宇治城(いちうじじょう)を拠点とした。のち島津氏の直轄領となり、麓(ふもと)(外城(とじょう))が置かれた。明治以降、郡役所の所在地となり、現在も官公庁の出先機関が多い。交通の便がよく、鹿児島市に近いことからベッドタウン化が進展している。JR鹿児島本線が通り、枕崎(まくらざき)へのバスが発着する。鹿児島三大行事の一つである妙円寺詣り(みょうえんじまいり)は、関ヶ原の戦いでの島津軍の奮戦の故事にちなみ毎年10月第4土・日に島津義弘(よしひろ)を祀(まつ)る徳重神社(とくしげじんじゃ)で行われ、参拝客でにぎわう。

[平岡昭利]

『『伊集院郷土史』(1976・伊集院町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊集院」の意味・わかりやすい解説

伊集院
いじゅういん

鹿児島県西部,日置市北東部の旧町域。薩摩半島北部に位置する。 1922年町制。 2005年東市来町,日吉町,吹上町と合体して日置市となる。中心地区の伊集院は,中世は伊集院氏の領地で,のち島津氏の直轄地となり,伊集院郷として地頭が支配した。明治以後は郡役所が置かれ,現在も官庁出先機関が多い。主産業は農業で,米作のほかチャ (茶) ,野菜,イチゴミカンなどの栽培や畜産が行なわれる。島津義弘の武功や仁徳を偲んで鹿児島市から往復約 40kmを歩く妙円寺詣りで知られる徳重神社,フランシスコ・ザビエルの公式布教を初めて許した場所として有名な一宇治城跡などがある。

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百科事典マイペディア 「伊集院」の意味・わかりやすい解説

伊集院[町]【いじゅういん】

鹿児島県日置郡,薩摩半島北部の旧町。近世島津氏の直轄地で,宿場町であった。鹿児島本線が通じる。茶栽培,肉牛飼育を行い,イチゴ,カボチャ,白ネギ,豆類も産する。鹿児島市の衛星都市化も進む。2005年5月日置郡東市来町,日吉町,吹上町と合併し市制,日置市となる。55.83km2。2万4056人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「伊集院」の意味・わかりやすい解説

伊集院 (いじゅういん)

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