白浜(読み)シラハマ

デジタル大辞泉 「白浜」の意味・読み・例文・類語

しらはま【白浜】[地名]

千葉県房総半島南端の地名。太平洋に面する観光地。野島崎灯台がある。花卉かき栽培が盛ん。
静岡県下田市の地名。伊豆半島南部にあり相模灘さがみなだに面する。海水浴場として知られる。
和歌山県南西部、西牟婁にしむろ郡の地名。太平洋に面する。温泉が多く、湯崎温泉は古来より牟婁の湯として知られた。古称、白良浜しららはま

しら‐はま【白浜】

砂で白く見える浜。白砂の浜。

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精選版 日本国語大辞典 「白浜」の意味・読み・例文・類語

しら‐はま【白浜】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 白い砂浜。白砂の浜。
    1. [初出の実例]「浦を良み 諾(うべ)も釣はす 浜を良み 諾も塩焼く 在り通ひ 見(め)さくもしるし 清き白浜(しらはま)」(出典:万葉集(8C後)六・九三八)
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 千葉県南部の地名。房総半島の南端にあり、太平洋に面する。無霜地帯で、草花や野菜の促成栽培潜水漁業がさかん。南房総国定公園の一中心。野島崎灯台がある。
    2. [ 二 ] 和歌山県南西部の地名。太平洋に面する。白浜、椿などの温泉や、円月島などがある観光保養地。
    3. [ 三 ] 静岡県下田市北東部の地名。旧賀茂郡白浜村。また、相模灘に面するその海岸名。第三紀白浜層の凝灰岩が標式的に発達する白砂の浜は、富士箱根伊豆国立公園の一部。
    4. [ 四 ] 高知県安芸郡東洋町の地名。その砂浜は海水浴場・キャンプ地として知られる。室戸阿南海岸国定公園の一部。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白浜」の意味・わかりやすい解説

白浜(町)
しらはま

和歌山県南西部、太平洋に面する西牟婁(にしむろ)郡の町。1940年(昭和15)瀬戸鉛山(せとかなやま)村が町制施行して白浜町となり、1955年(昭和30)南富田(みなみとんだ)村、1958年富田村と旧西富田村地区(田辺市から分離)を編入。2006年(平成18)日置川町(ひきがわちょう)を合併。JR紀勢本線(きのくに線)、国道42号、紀勢自動車道(南紀白浜、日置川各インターチェンジ)が通じ、南紀白浜空港もある。町名は中心部にある白良浜(しららはま)海岸の名にちなむ。

 町域は田辺湾の南を囲む小半島部と富田川下流域にわたっていたが、日置川町を合併したことにより、日置川中・下流を含め、東に大きく拡大している。半島部は平草原(へいそうげん)(標高131メートル)を含む海岸段丘で、白良浜や臨海(りんかい)浜など海水浴に適した砂浜や泥岩岩脈、化石漣痕(れんこん)(いずれも国の天然記念物)などの隆起地形とともに、海食洞のある円月(えんげつ)島(国の名勝)、三段壁の断崖(だんがい)、千畳敷(せんじょうじき)の岩盤、畠(はたけ)島・神(か)島などの小島の沈降地形もみられる。円月島と石英・珪石(けいせき)を含む白良浜は白浜のシンボルとされている。中心の白浜地区は藩政期は半島北部の瀬戸村と南部の鉛山村に分かれ、鉛山では一時黄銅鉱採掘が行われた。鉛山の湯崎温泉は古来牟婁湯(むろのゆ)として知られた。湯治場のほかは田畑も乏しく、おもな生業は瀬戸地区を主とする漁業であった。第一次世界大戦後、掘削により白浜温泉が開発され、温泉観光地として急速な発展をみた。景勝にも恵まれ、ゴルフ場、水族館、美術館、紀州博物館、民俗温泉資料館、陸や海の動物を集めた「アドベンチャーワールド」など施設も多い。海岸では真珠やハマチの養殖が進められている。近年では花卉(かき)栽培が盛んで、花卉団地もつくられている。また、日置川地区では林業、沿岸漁業が行われている。なお、町域中西部には椿(つばき)温泉がある。また、2004年には富田坂から始まる熊野古道大辺路(おおへち)が「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」として世界遺産(文化遺産)に登録された。面積200.98平方キロメートル、人口2万0262(2020)。

[小池洋一]

『『白浜町誌』全5冊(1984~1988・白浜町)』



白浜(千葉県)
しらはま

千葉県南部、安房郡(あわぐん)にあった旧町名(白浜町(まち))。現在は南房総市(みなみぼうそうし)の最南端を占める地域で房総半島南端に位置する。旧白浜町は1933年(昭和8)町制施行。1954年長尾村と合併。2006年(平成18)、安房郡富浦町(とみうらまち)、富山町(とみやままち)、三芳村(みよしむら)、千倉町(ちくらまち)、丸山町(まるやままち)、和田町(わだまち)と合併して市制施行、南房総市となった。紀州(和歌山県)の白浜に起源をもつ地名である。かつて島であった野島崎灯台が建つ海岸は、岩礁地帯をなし、1703年(元禄16)の元禄(げんろく)地震によって陸続きとなったもの。背後に丘陵が迫って平地は少なく、海岸沿いに国道410号(通称フラワーライン)が通じる。公共交通機関は館山(たてやま)、千倉(ちくら)からのバスがある。中世、結城(ゆうき)合戦に敗れ三浦半島から逃れてきた里見氏が白浜城を築き安房(あわ)平定の足場をなしたと伝える。江戸時代には幕府直轄地となり、1868年(明治1)駿河(するが)から本多正訥(まさもり)が転封され長尾藩4万石の所領となった。古来、半農半漁の村で、海では磯根(いそね)のアワビサザエテングサなどの潜水漁業が盛んで、海女(あま)が多い。冬季には海女は畑でキンセンカや野菜を栽培する。大正時代ごろから始まった花卉(かき)生産は、現在農業生産額の半分を占める。野島崎にはホテル、民宿、土産(みやげ)品店や白浜海洋美術館、海底透視船、さらに近くには亜熱帯植物の茂る白浜フラワーパークなどの観光施設が集中していて、南房総国定公園の一大観光拠点をなす。白浜鍾乳洞(しょうにゅうどう)と屏風(びょうぶ)岩は県指定天然記念物。

[山村順次]

『奥富敬之著『安房白浜』全4巻(1975~1981・白浜町)』


白浜(静岡県)
しらはま

静岡県下田市(しもだし)北東部の一地区。伊豆半島の南部に位置し、相模灘(さがみなだ)に臨む。旧白浜村。地名は白色石灰砂岩の白い砂浜に由来する。国道135号が走り、海水浴場として有名。テングサ生産も盛んで、静岡県水産試験場が設置されている。延喜(えんぎ)式内社の白浜神社がある。また、蓮台寺(れんだいじ)から引き湯した白浜温泉もある。

[川崎文昭]



白浜(高知県)
しらはま

高知県東端、安芸(あき)郡東洋町の一地区。河内(かわうち)川河口左岸にある海浜で、土佐2代藩主山内忠義(ただよし)のときに開かれた新田集落。現在、国道55号(土佐浜街道)が通じ、海水浴場、キャンプ地として知られる。自然休養村(青少年旅行村)がある。街道沿いには「ブッチョウ造」(ミセ造)の民家がみられる。

[大脇保彦]

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日本歴史地名大系 「白浜」の解説

白浜
しらはま

地島じのしまの字豊岡とよおかに比定される。正平二十三年宗像宮年中行事(宗像大社所蔵文書/神道大系神社編四九宗像)に白浜の市杵島姫社の年中行事が記載されている。「続風土記」は「此島の西北に、白浜といふ所あり」と記す。南北朝時代の宗像宮年中神事目録(宗像大社所蔵文書/神道大系神社編四九宗像)の諸社九月中御九日次第には「泊嶋厳嶋明神十九日 白浜十八日」とある。

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改訂新版 世界大百科事典 「白浜」の意味・わかりやすい解説

白浜[町] (しらはま)

和歌山県南部,西牟婁(にしむろ)郡の町。2006年3月旧白浜町と日置川(ひきがわ)町が合体して成立した。人口2万2696(2010)。

白浜町北西部の旧町。西牟婁郡所属。人口1万9206(2005)。町域は富田(とんだ)川下流域と田辺湾南岸の半島部からなり,温泉観光地として,とりわけ新婚旅行に利用されることで有名である。半島先端の鉛山(かなやま)にある湯崎温泉は,古代から室湯(むろのゆ)として知られていたが,第1次世界大戦後,瀬戸の白良浜(しららはま)で温泉が開発され,1933年には紀勢西線(現,JR紀勢本線)が開通,68年には南紀白浜空港も開港して白浜温泉として急速に発展した。その後,古くからの湯治場椿温泉や新たに開発された古賀浦,大浦の温泉も加えて,南紀一の温泉観光地となった。泉質は食塩泉,泉温40~88℃。付近は雄大な海食地形に恵まれ,千畳敷,三段壁,円月島,天然記念物の化石漣痕(れんこん),泥岩岩脈などの奇勝がある。ほかに京都大学白浜水族館,海中展望台,アドベンチャーワールドなど,観光施設が多い。
執筆者:

白浜町中東部の旧町。西牟婁郡所属。人口4436(2005)。日置川中・下流域に位置し,紀伊山地に属する山地が紀伊水道に面した海岸に迫る。蛇行する日置川の谷底に小集落が点在し,河口西岸に中心集落の日置がある。日置は江戸時代には大船の出入りする港町で,日置川流域で伐採される木材の集散地として栄え,現在も製材業が行われている。農業は温暖な気候を生かしてレタス,キュウリなどの促成栽培が行われる。山地斜面では茶,ミカンの栽培が盛ん。沿岸は黒潮が紀伊水道に分岐する地点で,マグロ,カツオなどの水揚げも多い。日置川のアユ釣りを中心に観光地化が図られている。JR紀勢本線,国道42号線が通る。
執筆者:


白浜(千葉) (しらはま)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白浜」の意味・わかりやすい解説

白浜
しらはま

千葉県南部,南房総市南部の旧町域。房総半島の南端に位置し,太平洋に臨む。 1933年町制。 1954年長尾村と合体。 2006年富浦町,富山町,三芳村,千倉町,丸山町,和田町と合体して南房総市となった。北部には標高約 100mの海食崖が連なり,数段の海岸段丘が発達。温暖な無霜地帯で,夏場も涼しく,東京に近い避寒避暑の好適地。段丘面では花卉園芸が行なわれ,米と並ぶ主要作物となっている。海女による潜水漁業が行なわれ,アワビ,サザエ,海草類が採取される。房総フラワーラインの開通以来,ホテル,民宿などが増加し,観光業が盛んとなった。房総半島南端の野島崎には灯台が建つ。南房総国定公園に属する。

白浜
しらはま

静岡県東部,伊豆半島南東にある下田市の地区。旧村名。 1955年下田町と合体,71年市制。伊豆大島をはじめ伊豆七島を一望に眺められ,白砂の美しい海岸美をもつ南伊豆の景勝地の1つ。夏には海水浴やサーフィンなどレジャーの好適地。伊豆最古の神社である式内社白浜神社 (伊古奈比 咩命神社) の境内には,海食洞や岩礁があり,多彩な植物群落が繁茂している。特にアオギリ自生地は天然記念物に指定されている。また寒天の原料テングサの名産地でもある。富士箱根伊豆国立公園に属する。

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百科事典マイペディア 「白浜」の意味・わかりやすい解説

白浜[町]【しらはま】

千葉県房総半島南端にある安房(あわ)郡の旧町。全町ほとんど丘陵地。海女(あま)によるアワビ,サザエ,イセエビの漁獲が多い。米,花,野菜の栽培を行う。野島崎があり,海岸は南房総国定公園の一中心。2006年3月,安房郡富浦町,富山町,千倉町,丸山町,和田町,三芳村と合併し市制,南房総市となる。17.07km2。6016人(2003)。

白浜[町]【しらはま】

和歌山県南部,西牟婁(にしむろ)郡の町。中心市街は田辺湾の南岸にあり,古くは牟婁ノ湯といわれた温泉場で,紀勢西線(現在の紀勢本線)開通後,南紀の大温泉町として急激に発展。白浜温泉は湯崎,白良浜(しらはま)などの総称で,純食塩泉。40〜88℃。千畳敷,三段壁,円月島,化石漣痕(れんこん)(天然記然物)などの奇勝,オオウナギ生息地(天然記然物),椿温泉がある。南紀白浜空港があり,紀勢自動車道が通じる。周辺で製材,野菜栽培,ハマチ養殖も盛ん。2006年3月西牟婁郡日置川町を編入。200.96km2。2万2696人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の白浜の言及

【白浜[町]】より

…町域は富田(とんだ)川下流域と田辺湾南岸の半島部からなり,温泉観光地として,とりわけ新婚旅行に利用されることで有名である。半島先端の鉛山(かなやま)にある湯崎温泉は,古代から室湯(むろのゆ)として知られていたが,第1次世界大戦後,瀬戸の白良浜(しららはま)で温泉が開発され,1933年には紀勢西線(現,紀勢本線)が開通,68年には南紀白浜空港も開港して白浜温泉として急速に発展した。その後,古くからの湯治場椿温泉や新たに開発された古賀浦,大浦の温泉も加えて,南紀一の温泉観光地となった。…

※「白浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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