鶴生田村
つるうだむら
[現在地名]太田市鶴生田
長手村の北西、金山北西麓の低平な村で西は鳥山村、北は強戸村、西境を八瀬川が南流する。嘉応二年(一一七〇)の新田庄田畠在家目録写(正木文書)に「つるう田の郷 田三町七反廿たい 畠一丁六反 在家五う」とみえる。その後の伝領関係は不明な点が多いが、享徳の乱で甥の岩松持国(古河公方足利成氏方)と内紛状態にあった岩松家純(上杉方)は、和睦の条件として「庄内之大光御知行分」「世良田跡并
生田寺領」の持国への割譲を提案している(長禄二年八月二二日「岩松家純書状写」同文書など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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