朝日日本歴史人物事典 「岩松持国」の解説
岩松持国
室町時代の武将。上野国(群馬県)新田荘の領主。左馬助,右京大夫,左京大夫。満国の孫で,満純の兄弟満春の子。満純が上杉氏憲(禅秀)に与同して応永24(1417)年誅伐されると,岩松家では甥に当たる幼年の持国を当主とし難局を乗り切った。永享11(1439)年に鎌倉公方足利持氏が滅亡したあとは,結城氏朝らと共に公方派の中心として室町幕府や上杉方と対立。享徳3(1454)年に公方足利成氏と上杉方が全面的な戦闘に突入すると,成氏方として活躍した。しかし長禄2(1458)年になって同族岩松家純の工作により上杉方に寝返り,その後成氏に内通したとの嫌疑で家純により殺された。<参考文献>『新田町誌』4巻
(山田邦明)
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