鹿待村
ししまちむら
[現在地名]鹿町町
鹿町免・
土肥ノ
浦免・
深江免・
新深江免・
深江潟免・
口ノ
里免・
大屋免・
九十九島免など
現鹿町町域の中央部北側に位置し、鹿町川が流れる。南部に蜂子山・長串山がそびえ、さらに南に大観山・金比羅岳が連なる。深江免に大野台支石墓群があり、中世には深江氏が地内の将監山に居館を構えている。万暦五年(一五七七)の図書編の序および日本地図(文淵閣四庫全書子部)にみえる世子は当地の可能性がある。江戸時代は平戸藩領田平筋一四ヵ村の一つで、江迎村のうちとして把握される。正保国絵図に「鹿待村」とあり、高一七三石余。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では「江迎鹿待村」内に深江免・口野里免・岡里免・鹿町免・船之村免・中野免・歌ヶ浦免・長串免が記される。元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳では鹿待村として高一七三石余、「シヽマチ」の訓を付す。享保二年(一七一七)の平戸領分郷村付(松浦史料博物館蔵)では田平筋江迎三ヵ村のうちに鹿町村、幕末期の伊能忠敬実測平戸領地図(同館蔵)では鹿町村口ノ里・鹿町村歌ノ浦・鹿町村長串浦とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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