南河原(読み)みなみかわら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南河原」の意味・わかりやすい解説

南河原
みなみかわら

埼玉県北部、北埼玉郡にあった旧村名(南河原村(むら))。2006年(平成18)行田市(ぎょうだし)へ編入。現在は行田市の北西部を占める一地区。旧南河原村は熊谷(くまがや)市と行田市に囲まれた面積5.82平方キロメートルの小さな村であった。旧村域は利根(とね)川右岸の沖積平野に位置するが、農業的生産は少なく、おもに米麦作と野菜栽培を行っている。1954年(昭和29)ごろから農閑期副業として始まったスリッパ製造は、地場産業として定着している。観福寺(かんぷくじ)の南河原石塔婆(いしとうば)(板碑(いたび))は一ノ谷の戦いで戦死した河原太郎次郎の墓といわれ、国指定史跡になっている。

[中山正民]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南河原」の意味・わかりやすい解説

南河原
みなみかわら

埼玉県中北部,行田市北西部の旧村域。利根川中流右岸にある。 1889年犬塚村,馬見塚村中江袋村の3村と合体。 2006年行田市に編入。米作,ムギ・野菜栽培が主産業。スリッパの産地としても知られる。西部に真言宗の観福寺があり,国指定史跡の南河原石塔婆がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「南河原」の意味・わかりやすい解説

南河原 (みなみかわら)

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