日本歴史地名大系 「長坂村」の解説
長坂村
ながさかむら
江迎村の西方に位置し、江迎川の河口部にあたる。これは狭義の村域で、幕末期には江迎村などを含む複数の村の総称でもあった。地内の北平・中尾・箙尾などに中世の松浦党の
慶安二年(一六四九)の肥前国道法帳に「永坂」とみえ、一里山が築かれていた。明暦元年(一六五五)
長坂村
ながさかむら
寛永一九年(一六四二)の長坂村検地帳(県立図書館蔵)によれば、田方三四町八反余・代四二貫四七文、畑方一九二町七反余・代四三貫四九七文、名請人数一二七。正保郷帳に長坂宿とみえ、田三六貫八八八文・畑三七貫八五七文、ほかに新田八貫九九文があり、水損と注記される。「安永風土記」によれば、田五三貫七四五文・畑四九貫九七八文(うち茶畑七三九文)、うち蔵入六七貫八一五文・給所三五貫九〇八文。人頭三一一、家数三三三(うち水呑二二)、男九二五・女七六四、馬二六〇。
長坂村
ながさかむら
- 富山県:氷見市
- 長坂村
北は
長坂村
ながさかむら
慶長九年(一六〇四)の本庄豊前守満茂知行状(山形県史)に「長坂村」として記され、慶長一七年の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に
長坂村
ながさかむら
北は
長坂村
ながさかむら
- 三重県:名張市
- 長坂村
長坂村
ながさこむら
長坂村
ながさかむら
長坂村
ながさかむら
- 神奈川県:横須賀市
- 長坂村
北は
長坂村
ながさかむら
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
長坂村
ながさかむら
長坂村
ながさかむら
- 鳥取県:倉吉市
- 長坂村
長坂村
ながさかむら
長坂村
ながさかむら
長坂村
ながさかむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報