日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿町」の意味・わかりやすい解説
鹿町
しかまち
長崎県北松浦郡にあった旧町名(鹿町町(ちょう))。現在は佐世保市(させぼし)の北西部を占める地域。北松浦半島の西岸に位置する。松浦鉄道が通じる。1947年(昭和22)鹿町村が町制施行。「ししまち」とよんでいたが、1958年「しかまち」と改称。2010年(平成22)江迎(えむかえ)町とともに佐世保市へ編入。地名は、平戸(ひらど)藩主が鹿狩りの際、シカを待つ所を意味する「鹿待(しかまち)」と名づけたことによる。この地区の炭坑は、天明(てんめい)年間(1781~1789)狸(たぬき)掘りに始まり、昭和時代には強粘結炭の優秀なヤマとして知られ、1950年前後の最盛期には大手6鉱を含む8鉱で月産30万トン。町の人口は2万2000を数えたが、1963年全鉱閉山。その後、鉱業にかわる農水産業が伸び、ミカン園の増大と真珠養殖、ハマチ・タイの養殖やワカメなどの浅海養殖が画期的に伸展している。目暗ヶ原(めくらがはら)は九十九島(くじゅうくしま)、平戸島への眺望絶佳の地。褥崎(しとねざき)は1868年(明治1)五島(ごとう)崩れで五島から逃れた人たちのキリシタン集落である。国指定史跡に大野台支石墓群がある。
[石井泰義]
『『鹿町町郷土誌』(1961・鹿町町)』