鹿曲川(読み)かくまがわ

日本歴史地名大系 「鹿曲川」の解説

鹿曲川
かくまがわ

蓼科(たてしな)山(二五三〇メートル)の東方大河原(おおがわら)峠(二〇九三メートル)のふもとを発して北流、途中細小路(ほそこうじ)川・八丁地(はつちようじ)川・芦田(あした)川・藤沢(ふじさわ)川を併せて、現北御牧(きたみまき)村島川原(しまがわら)で千曲川に合流する。延長二七・五キロ。上流の春日(かすが)渓谷は深く、中・下流も狭谷状をなして沿岸灌漑面積は少なく、御牧原(みまきがはら)台地と八重原(やえばら)台地を東西に分ける。

古代の文化は、小県(ちいさがた)郡からこの川をさかのぼって川西(かわにし)方面に入ったものと考えられており(北佐久郡志)、牧場経営をもって繁栄した滋野氏の支族望月氏や甕(もたい)氏はこの流域を主な活躍の舞台としており、下(しも)ノ城(じよう)跡(現北御牧村下ノ城)・望月(もちづき)城跡(現望月町望月)、式内社に比定される大伴(おおとも)神社(現望月町望月)、地字名に大伽藍の存在をうかがわせる月輪(がちりん)寺跡(現望月町印内)あるいは福王(ふくおう)寺(現望月町小平)の建仁三年(一二〇三)造の阿弥陀如来坐像等は当時の隆盛をしのばせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報