鹿江村
かのえむら
[現在地名]川副町大字鹿ノ江
犬井堂村の北、現川副町の中央部にあたる。鎌倉時代の有明海の海岸線である南里村と、戦国時代の潮土居線である犬井堂村の中間点辺りに位置する。
正平二二年(一三六七)の増成譲状(実相院文書)に
<資料は省略されています>
とあり、所職・所領等の譲状で河上神社(現大和町)の神宮寺実相院の寺領であったことがわかる。
戦国時代、竜造寺家兼の弟兼明がこの地に居館を築き、鹿江遠江守を名乗り、竜造寺隆信が天文二二年(一五五三)、佐賀に帰城する時手助けをした(九州治乱記)。
慶長絵図には、石高一千七四一石九斗八升八合と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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