鹿籠金山跡(読み)かごきんざんあと

日本歴史地名大系 「鹿籠金山跡」の解説

鹿籠金山跡
かごきんざんあと

[現在地名]枕崎市東鹿籠

現在の金山きんざん集落にあった金山。金山小学校の敷地は金山奉行所跡といわれる。鹿籠村の山師有川夢宅が発見、鹿籠領主喜入久亮が天和三年(一六八三)に山を開いたと伝える(「列朝制度」など)。その後、鹿児島藩主島津光久は周囲一里二〇余町を藩の直轄地とし、加世田郷津貫つぬき村の一部中山なかやま(現加世田市)を代替地として鹿籠郷に編入した(枕崎市史)。金山の最盛期は宝永(一七〇四―一一)頃で、口碑によれば月三六貫の産金額が三六ヵ月続き、肥前長崎から遊女数十人が招かれ、黄金花咲く盛況であったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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