日本歴史地名大系 「鹿背山村」の解説
鹿背山村
かせやまむら
東は山を隔てて
初見は「続日本紀」天平一三年(七四一)九月一二日条で「賀世山西道」と記され、同年一〇月一六日条には「賀世山東河」とみえる。「万葉集」にも「鹿背山」「鹿背の山」と詠まれる。「類聚国史」には承和二年(八三五)三月一二日に「山城国内蔵寮所領之地
」とあり、朝廷の内蔵寮の所領であったことがわかる。また「延喜式」(諸陵寮)に「加勢山墓、贈太政大臣正一位橘朝臣清友、仁明天皇外祖父、在
山城国相楽郡
」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報